「時代」の声を伝えて――文学がとらえた80年(6) 文・黒古一夫(文芸評論家)

画・吉永 昌生

人間を「狂気」に走らせ、非人間的にする戦争

井伏鱒二の『遙拝隊長』(1950年)は、戦場での事故によって精神に異常をきたした帰還兵士の戦後における「狂気」を、兵士も、銃後を守ってきた主婦や老人も子供も共に「戦争犠牲者」であるとする観点からして、ユーモラスに淡々と描いた。大岡昇平の『野火』(52年)は、フィリピン戦線における「人肉食い」と「意味無き殺人」を明らかにした。遠藤周作の『海と毒薬』(58年)は、敗戦間際の九州帝大(現九州大学)医学部で実際に起こった「米軍捕虜の生体実験」事件における「人間の弱さ」を、「原罪とは何か」との問いを基底に響かせ、関係者の心理に分け入りながら分析した。これらは、戦後文学の著名な作家がおのれの戦争・戦時下体験を基に描いた、まさにこの時代に現れた「新しい戦争文学」であった。

この3作に共通しているのは、「奴は敵だ、敵は殺せ」という論理が求められる戦争は、平時において「普通」な生活を送っていた人間を一瞬にして「狂気」に走らせる非人間的な出来事にほかならない、という作者の戦争観である。中でも、敗走中の兵士が生き延びるために仲間の兵士の「肉を食う」場面や、戦争と直接関わりのない原住民=無辜(むこ)の民の殺害場面が書かれている『野火』は、戦場では飢えた末の「人肉食い」や敵兵以外の「一般人殺害」も許されるのか、といった究極的な問いが作中の至るところに通奏低音のように響きわたっているところに、その特徴があった。

この『野火』を読むと、アジア太平洋戦争中に国民を鼓舞するために用いられた「欧米帝国主義列強からのアジア解放」とか、「鬼畜米英」「大東亜共栄圏の建設」といった標語(スローガン)が、いかに現実(戦争)の実態とかけ離れた虚しいものであったかを痛感する。

なお、アジア太平洋戦争中のフィリピン戦線やパプアニューギニア戦線における「人肉食い」については、『野火』の後、小説では戦後派作家・堀田善衞の『橋上幻像』(70年)に取り上げられた。また、原一男のドキュメンタリー映画『ゆきゆきて、神軍』(87年)や芥川賞作家・辺見庸のルポルタージュ『もの食う人びと』(94年)、あるいは守屋正の『フィリピン戦線の人間群像』(78年)といった下級兵士の手記や記録などにも多数取り上げられてきた。

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