寄稿(連載)

『利害を超えて現代と向き合う――宗教の役割』(36) 文・小林正弥(千葉大学大学院教授)

悪しき政治は何をもたらすか?

アメリカとイランの緊張関係は幸い戦争に突入せずにとどまっているが、今度は新型コロナウイルスによる感染症が中国から始まって世界中に拡散し、世界を震撼(しんかん)させている。日本では、国会で引き続き政権の公私混同が追求されて、政府による東京高検検事長の定年延長が法律違反ではないかという疑いも投げ掛けられている。これが、今、私たちを取り巻く現実だ。

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『清水寺に伝わる「おもてなし」の心』(1) 写真・文 大西英玄(北法相宗音羽山清水寺執事補)

清水寺での日々

「どうして和尚をしているのか」。今まで度々尋ねられた質問の一つだ。

寺務所職員によるお茶とお菓子の接待が整うと、それからが境内案内役としての自分の出番となる。案内役は簡単なようで難しい。来賓が待つ迎賓室へ向かう時に独特の緊張感がある。その時お目にかかる方々のほとんどが初対面であるからだ。

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おもかげを探して どんど晴れ(24) 文・画 笹原留似子(おもかげ復元師)

おばあちゃん、僕、大丈夫だよ

「納棺」の依頼は数日前から入ることもあれば、「今すぐに」と突然入ることもあります。さまざまな事情でおもかげをなくした方を元に戻す技術が必要な「復元納棺」の依頼も同じです。

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『心の悠遠――現代社会と瞑想』(10) 写真・文 松原正樹(臨済宗妙心寺派佛母寺住職)

ゴータミー 芥子の実の話

ブッダのところに、ゴータミーという裕福な家の女性が訪ねて来た時の話です。幾つも奇跡を起こしてきたブッダであれば、自分の願いをかなえてくれるのではないかと彼女は考えていました。その願いとは、わずか1歳で亡くなってしまった子供を、何とかして生き返らせてほしいというものでした。いくらブッダでも、死んだ人間を生き返らせることなどできないのでは? しかし、ブッダはゴータミーにこんな指示を出したのです。

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『利害を超えて現代と向き合う――宗教の役割』(35) 文・小林正弥(千葉大学大学院教授)

戦争の危機で始まった令和2年

本来は、令和はじめの新年にあたって平和を寿(ことほ)ぎたいところである。しかし1月3日、アメリカがイランのソレイマニ司令官をイラクで殺害したというニュースを目にして、私はお屠蘇(とそ)気分が一気に冷めてしまった。報復の応酬がエスカレートすれば、大戦争になりかねないと憂えたからである。

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『現代を見つめて』(45) 同窓会に姿を見せない友 文・石井光太(作家)

同窓会に姿を見せない友

年末年始に忘・新年会以外で開催されることが多いのが同窓会だ。正月の帰省に合わせて行われるのだ。

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おもかげを探して どんど晴れ(23) 文・画 笹原留似子(おもかげ復元師)

共助の民話――哀れで悲しい物語

岩手県には、昔から伝わる「河童(かっぱ)」や「座敷わらし」の話があります。「河童」や「座敷わらし」は、実は飢餓で苦しむ時代に生まれた子どもたちのことだといわれています。病弱であったり、働き手にならなかったりした赤子や幼児は、口減らしのために、存在が無かったことにされていました。昔に起きた悲しい物語です。

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『利害を超えて現代と向き合う――宗教の役割』(34) 文・小林正弥(千葉大学大学院教授)

政治における正見・正思

「桜を見る会」をめぐって首相の公私混同をはじめ次々と腐敗が明らかになり、日本政治の頽落(たいらく)が露呈しつつある。もっとも報道各社によると、内閣支持率は落ちてきているものの、まだ不支持率を上回っている。この理由は何だろうか。

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『心の悠遠――現代社会と瞑想』(9) 写真・文 松原正樹(臨済宗妙心寺派佛母寺住職)

死は命の流れの通過点

私の祖父、故・松原泰道は102歳で遷化するまで、「生涯現役、臨終定年」をモットーに一生を布教一本に貫き、毎日、全国を駆け巡っていた。祖父の遺詩に、「私が死ぬ今日の日は 私が彼土(ひど)でする説法の第一日です」というものがある。「彼土」とは、あの世のこと。「私が死ぬその日は、あの世での私の説法の初日だ」という意味である。実は、私が祖父から聞いた直接の遺言はこれと二文字異なっているものもある。それは、「私が死ぬ今日の日は 私が地獄でする説法の第一日です」というものだ。

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おもかげを探して どんど晴れ(22) 文・画 笹原留似子(おもかげ復元師)

誰でも起こしやすい心を問う民話――お地蔵さまの本心

あるところに信仰心の篤(あつ)いおじいさんがいました。おじいさんは、畑仕事に行く途中に川辺に立つお地蔵さまに、毎日、朝晩に手を合わせていました。

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