寄稿(連載)

栄福の時代を目指して(10) 文・小林正弥(千葉大学大学院教授)

平和なコアラと戦火――禍中の世界に灯り続ける「栄福」への希望

イスラエルとイランの停戦はなんとか維持され、12日間戦争が終結した。すぐに世界大戦へと進む最悪のシナリオは幸い回避されたのである。

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食から見た現代(18) 食べるのが苦手な子どもたち〈後編〉  文・石井光太(作家)

前編につづいて、子どもの少食、偏食、小児摂食障害について、NPO法人「はぐもぐ」の代表・小浦ゆきえ氏(48歳)と共に考えていきたい。

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カズキが教えてくれたこと ~共に生きる、友と育つ~ (7) 写真・マンガ・文 平田江津子

“居場所”となった学校での成長

小学校時代を特別支援学級で過ごした息子・カズキは、中学校から普通学級へと在籍変更をし、毎日仲間と共に同じ時間を過ごしました。

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栄福の時代を目指して(9) 文・小林正弥(千葉大学大学院教授)

イスラエル・イラン戦争――文明の衝突と世界平和への祈り

「栄福の時代」への動きとは逆に、深刻極まりない戦争が勃発してしまった。6月13日に、核兵器開発阻止を名分にイスラエルがイランを攻撃し、参謀総長や司令官などを殺害したのである。イランは反撃して、超高速ミサイルなどでイスラエルの誇っていた多重のミサイル防衛システム(アイアンドームなど)を突破し、機能を止めて、次々とテルアビブやハイファなどに打ち込んだ。軍事的応酬が続き、イスラエルも多大な被害を受け、アメリカに軍事的な参加を要請した。

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食から見た現代(17) 食べるのが苦手な子どもたち〈前編〉  文・石井光太(作家)

「食べるのが苦手な子どもが増えました。食べることに関心を示さなかったり、嫌がったりする子がとても多いのです」

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カズキが教えてくれたこと ~共に生きる、友と育つ~ (6) 写真・マンガ・文 平田江津子

「ひとりの生徒」として関わってくれた担任

小学校の卒業を間近に控えた頃、カズキに、中学校の就学先に関して「特別支援学校適」と書かれた入学指定通知が届きました。小学校6年間を特別支援学級に在籍していた経験から、学ぶ場を分けると、いくら交流をしてもどこかに“壁”があるように感じていました。「このままでは、カズキが地域社会で生きていくための素地ができない」と実感した私たち夫婦は、教育委員会に出向き、思い切って「普通学級」への転籍を希望しました。専門家から多少の反対があったものの、話し合いによってそれを叶(かな)えることができました。

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栄福の時代を目指して(8) 文・小林正弥(千葉大学大学院教授)

強者の支配こそ正義?

前回は、プラトンのソクラテス対話編を参考に、生成AI(チャット君)や夢中でのトラギアスと青年哲学徒・即礼君の対話形式で書いてみた。書きながら想起していたのは、30代はじめにおいてイギリス・ケンブリッジ大学研修中に聴講したプラトン講義である。同大学では、客員研究員は他学部の講義も自由に聴講できるので、自分の属した社会政治学部以外の講義も、それぞれの建物に通って毎日聴講していた。この大学には古典学部があり、有名なM・F・バーニェト(イギリスの古代ギリシア哲学研究者)らによるプラトン対話編に関する講義も聴いた。講義ではギリシャ語で原典を読んでいたが、場面ごとに説明を加え、生き生きとその様子を語っていて、その対話の場に自分も引き込まれるような臨在感があった。連載でも、そういった感覚を少しでも味わって頂きたいと思い、即礼君の物語に託して関連する箇所をなるべく示していきたい。歴史の面影の漂う雰囲気が多々この大学にはあり、書いてみたい気もするが、今は筆を急ごう。

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食から見た現代(16) 15分から勤務できるカフェレストラン 文・石井光太(作家)

愛知県春日井市に、テラスの付いたカフェレストランがある。ポテトを使った美味しい料理と、看板犬が人気の「ワンぽてぃと」だ。

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カズキが教えてくれたこと ~共に生きる、友と育つ~ (5) 写真・マンガ・文 平田江津子

数々の出会いが導いた市民団体の設立

カズキが地域の小学校で特別支援学級に在籍していた時、普通学級で多くの時間を過ごさせてほしいと相談し続けました。でも、学校側は「別室での個別学習の方が彼の力を伸ばせる」と主張を曲げず、私たち夫婦は悶々(もんもん)とした日々を過ごしていました。

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栄福の時代を目指して(7) 文・小林正弥(千葉大学大学院教授)

「解放の日」の既視感

本連載第5回では、青年哲学徒S・即令君が、科学アカデミーや左翼政党の勉強会に赴いて、先生方と問答をしたという設定でエピソードを書いた。私自身はマルクス主義に詳しいわけではないし、その資本主義批判には今でも意味があると思っている。しかし、この問答は、私が青年時代に父と交わした多くの会話に源流がある。唯物論ないし史的唯物論の限界という認識には、父という1人の人間の実存(研究人生)がかかっていると言って良い。その肩の上に私の視座が成立してきたのである。

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