共生へ――現代に伝える神道のこころ
共生へ――現代に伝える神道のこころ(25)最終回 写真・文 藤本頼生(國學院大學神道文化学部教授)
神社に参拝し手を合わせ願う心が、鳥居をくぐる如く神々へ届くよう
あくまで小生の勝手な所感だが、日本人はどうも「くぐる」ことが好きなようだ。民俗的な風習か、はたまた迷信的なものと考えるか否かはさておき、奈良県の東大寺大仏殿の柱の穴などは、観光客や修学旅行の児童・生徒が訪れる有名な“くぐりスポット”と言える。同じく観光客で賑(にぎ)わう京都府の伏見稲荷大社の境内にある「千本鳥居」も、近年では著名なくぐりスポットとなっている。先日も同社を訪れた際には、千本鳥居の中をくぐり抜けながら、SNSにアップロードするであろう“映え写真”をスマートフォンで撮影する若い着物姿の女性や、親子連れで溢(あふ)れていたのには驚いた次第である。
共生へ――現代に伝える神道のこころ(24) 写真・文 藤本頼生(國學院大學神道文化学部教授)
古来、災禍を祓うために供えられたゆかりある各地の銘菓に目を向けて
節分も過ぎると、次は五節供(ごせっく)の二番目「上巳(じょうし)の節供」、つまり三月三日の雛(ひな)祭りの季節を迎える。この雛祭りには、古い形式の一つとして、旧暦三月三日に紙を人のかたちに切った「形代(かたしろ)」に身の穢(けが)れを託し、川や海に流すという「流しびな」の風習がある。現在も鳥取県東部の旧八頭郡用瀬町(現鳥取市)にて、藁(わら)を丸く編んだ「桟俵(さんだわら)」に男女一対の紙雛を乗せて、千代川へと流す民俗行事として継承されており、その原型は平安時代にまでさかのぼる。こうした人形に身の穢れを託して流すという事象は、神社神道では六月三十日、十二月三十一日に半年ごとの罪や穢れを祓(はら)うために斎行する「大祓(おおはらえ)」行事にも通ずる。また、五節供の日に神を迎え、供え物を捧げて災禍を祓うことは、古くから宮中の行事に取り入れられており、『源氏物語』や『枕草子』にもそうした記述をうかがうことができる。
共生へ――現代に伝える神道のこころ(23) 写真・文 藤本頼生(國學院大學神道文化学部教授)
天候の黒子として雨や熱を運ぶ「風」に感謝し 農耕の無事を神々に祈る
あくまでも個人の主観だが、伊勢地方は他の地域に比べて風がよく吹く印象がある。初めて伊勢を訪れたのが、寒風すさぶ一月末のことで、冬の季節風が吹く時期であったためかもしれない。「神風の」は伊勢を示す枕詞。伊勢は海に面しており、現在では津市の山間部に日本最大級の出力を誇る風力発電所があるほど、地理的にも風が吹き抜けやすい地形にある。とはいえ、「神風の伊勢」とは言い得て妙だと思ったのもその時であった。
共生へ――現代に伝える神道のこころ(22) 写真・文 藤本頼生(國學院大學神道文化学部教授)
日本の神々と人と馬の関係性――社会を支え、神を乗せる貴重な存在
かつて、ある神社の宮司さんと談笑していた際、「私はまもなく80歳を迎えるが、例祭ではいまだに装束姿で馬に乗っているんだよ」とおっしゃっていたのを思い出した。この言の通り、各地の神社では時折、祭礼行事にて馬に騎乗した神職らの姿を見ることがある。
共生へ――現代に伝える神道のこころ(21) 写真・文 藤本頼生(國學院大學神道文化学部教授)
神紋は個々の神社や御祭神を示すシンボルでもあり、神社の歴史や由緒の一部
小生はいわゆる掃苔家(そうたいか)、“墓マイラー”ではないが、時折、各地の墓苑に赴いて調査を行うことがある。近年の墓苑では、墓石の表面に「〇〇家之墓」といった名称がなく、「倶会一処(くえいっしょ)」といった仏教にちなむ言葉をはじめ、花や楽譜、その人が好んだ文章や四字熟語、あるいは生前の事績が記されるなど、さまざまな形式の墓標が見られる。現代社会における墓は、かつてのような均一的なものでなく、多様な墓の在り方が共存しているのだ。
共生へ――現代に伝える神道のこころ(20) 写真・文 藤本頼生(國學院大學神道文化学部教授)
豊かな実りをもたらす神助に感謝 神々と酒との縁に思いを馳せる
水田と里山に囲まれた田園風景が広がる新潟県長岡市の越路地区には、“米どころ新潟”を代表する日本酒「久保田」を醸造する朝日酒造がある。同酒造の仕込み水は、隣接する朝日神社の二の鳥居脇の湧き水「宝水」に連なる地下水脈を使用している。この「宝水」は、県内の醸造元で用いられる仕込み水の中でもとりわけ硬度が低い軟水だ。硬度の低い水は穏やかな発酵を促すため、淡麗かつ辛口の酒に向いており、まさに国内有数の吟醸酒造りに適した宝の水と言えよう。
共生へ――現代に伝える神道のこころ(19) 写真・文 藤本頼生(國學院大學神道文化学部教授)
御神木のみならず、地域の森林をいかに後世に守り伝えていくか
「鎮守の森」と称される神社を訪れると、田園風景の中にこんもりとした境内林や、大都会のオアシスともなっている明治神宮の森、京都府の賀茂御祖(かもみおや)神社(下鴨神社)の「糺(ただす)の森」など、さまざまな形態が見られる。神社によっては境内に御神木と呼ばれる特定の樹木があり、三峯神社や來宮(きのみや)神社のようにパワースポットとして御利益を求める人々で賑(にぎ)わう例もある。しかし、静岡県掛川市の事任八幡宮(ことのままはちまんぐう)では、数年前に多くの参拝者が訪れて、樹齢500年ともいわれる御神木の楠(くすのき)に手を触れたことで御神木の幹の樹皮が剥がれたり、ハイヒールなどで木の根を踏みつけて樹勢が弱ったりして、結果、御神木の周囲に柵を設けた事例もある。先に掲げた三峯神社では、とにかく御利益にあやかりたいという一方的な願いだけで御神木にだけ触れ、写真を撮って帰る人々が相次ぎ、貼り紙や立て看板を設けて神社への参拝を喚起したようなケースもある。
共生へ――現代に伝える神道のこころ(18) 写真・文 藤本頼生(國學院大學神道文化学部教授)
地域に根付いた地名と神社の関係 歴史や伝統を後世に残す努力を
地域神社の調査をするために市街地を歩いていると、時々、細い路地に出くわすことがある。こうした路地や谷の行き詰まりを、三重県南部の方言では「世古(=せこ。瀬古)」と呼ぶ。同県内の市町村には「世古」に由来する「大世古」「瀬古口」「小世古」といった地名があり、人名では「世古」さんという方もいらっしゃる。特に市街地に世古の多い伊勢市では近年、世古を活用したまちづくりのためのワークショップが行われるなど、地名の持つ意味とその奥深さには、いまだに驚かされることが多い。
共生へ――現代に伝える神道のこころ(17) 写真・文 藤本頼生(國學院大學神道文化学部教授)
平和や幸福を希求する人々の祈りの在り方と神社とのつながり
2019年7月19日に劇場公開された新海誠監督の長編アニメーション映画『天気の子』は、公開からわずか75日間で観客動員数1000万人を超えた大ヒット映画として知られる。この映画では、作品中に都内の廃ビルの屋上にある小祠(しょうし)と鳥居、下駄(げた)型の絵馬が神社の「絵馬掛け」に多く掛けられているシーンが登場し、ともに次の場面展開への重要な鍵となっている。