「時代」の声を伝えて――文学がとらえた80年(18) 番外編2 文・黒古一夫(文芸評論家)

「ユートピア」を求めて(2)

1986年4月26日に当時のソ連(現ウクライナ)のチェルノブイリで起こった原発事故は、国際原子力事象評価尺度(INES)で最も深刻な事故に当たる「レベル7」と認定され、事故発生直後の死者数は「33名」であったといわれている。

しかし、しばらくして、事故処理に当たった兵士や民間の作業員をはじめ高濃度の放射能を浴びた被曝(ひばく)者の存在が明らかとなり、長期的な視点で事故を捉えた場合、死者数は数万人から数十万人に上るのではないかと推測されている(これまでの実際の犠牲者数は、いまだに不明)。そして、事故から32年が経った現在でも、多くの人が事故以前に暮らしていた町や村に帰還できず、また甲状腺異常や白血病、がんなどの「被曝」が原因の病気で苦しんでいる被曝者が多数存在するという現実がある。

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