清水寺に伝わる「おもてなし」の心

清水寺に伝わる「おもてなし」の心(12)最終回 写真・文 大西英玄(北法相宗音羽山清水寺執事補)

使命そのものに他ならぬ「大欲」を果たすために

当初は半年、計6回の予定にて本寄稿の大役をお引き受けし、結果的には一年間もの貴重な機会を拝受することとなった。こうした連続寄稿は初めての縁にて、皆様から長きにわたりご支持を頂いてきたことが感慨深く、改めて関係各位のご法光を大変有り難く思う。

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清水寺に伝わる「おもてなし」の心(11) 写真・文 大西英玄(北法相宗音羽山清水寺執事補)

誠の謙虚と信頼を分かち合い 多様な中での共通項を指針に

清水寺には僧職が八人いる。こう言うと、大きな伽藍(がらん)を構える寺院にしては意外に少ないと、多くの人が驚く。このうち私と同じ日に、共に清水寺で得度した僧侶が四人を占める。年齢順に紹介すると、森清顕(せいげん)、私、大西皓久(こうきゅう)、大西晶允(しょういん)である。

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清水寺に伝わる「おもてなし」の心(10) 写真・文 大西英玄(北法相宗音羽山清水寺執事補)

長い時間軸での継承と循環

「清水の舞台から飛び降りる」

寛永10(1633)年の再建以来、1694年から1864年の間に200件以上の飛び降りがあったそうである。そんなことわざで知られる当山本堂舞台。その床板修復落慶を12月初めに迎える。平成20年から続いた境内にある大小11の諸堂の解体、半解体、彩色復元工事がようやく、無事に完成する。

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清水寺に伝わる「おもてなし」の心(9) 写真・文 大西英玄(北法相宗音羽山清水寺執事補)

「伝える」難しさ

「寺なのにどうしてこんな悪い字を選んで書くのか」

毎年暮れに、日本漢字能力検定協会主催による「今年の漢字」発表奉納が当山で執り行われている。字の発表直後よりしばらくは、寺務所へさまざまな声が電話で寄せられる。

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清水寺に伝わる「おもてなし」の心(8) 写真・文 大西英玄(北法相宗音羽山清水寺執事補)

本質に向き合う縁を得て、祈りの場として大きな力に

「晴れ時々曇り、ところによってにわか雨」

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清水寺に伝わる「おもてなし」の心(7) 写真・文 大西英玄(北法相宗音羽山清水寺執事補)

清水寺門前会との絆

ある時、弟子の阿難尊者が「よき友を持つということは修行において半ばを成就したに等しいと思うのですが、いかがでしょうか」と、お釈迦様にお尋ねになった。すると、お釈迦様は以下のように答えられた。

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清水寺に伝わる「おもてなし」の心(6) 写真・文 大西英玄(北法相宗音羽山清水寺執事補)

利休の茶の極意

「『感謝』の反対は『当たり前』」という表現を耳にしたことがある。新型コロナウイルスの感染拡大に伴い、我々を取り巻く状況は大きく変化した。今まで当たり前のこととすら認識していなかった環境が、実はどれだけ恵まれたものであったかを思い知らされている。

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清水寺に伝わる「おもてなし」の心(5) 写真・文 大西英玄(北法相宗音羽山清水寺執事補)

出会いの尊さ

「客人を迎えるとは何か」。別に問答でもなんでもない。端的に言えば、自分は相手と出会い、相手は自分と出会うということだ。特に後者の意識が往々にして欠けていることがある。いずれにしても、この相互交流をより有意義にするため、出会いの尊さを自覚するとともに、人と人が向き合って「間(ま)」ができて「人間」となる訳で、その「間」の智慧(ちえ)を知るべきだと考える。

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清水寺に伝わる「おもてなし」の心(4) 写真・文 大西英玄(北法相宗音羽山清水寺執事補)

「祈り」とは

新型コロナウイルスの感染が広がる中で、冒頭まずもって、一刻も早い世相の安寧と、困難に直面している方々のご快復を皆様と共に祈らせて頂きたい。

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清水寺に伝わる「おもてなし」の心(3) 写真・文 大西英玄(北法相宗音羽山清水寺執事補)

吉岡秀人先生の話

「父と子と聖霊のみ名によってアーメン」。親に言われるがままカトリックのノートルダム学院小学校に入学し、給食の際に同級生と一緒に祈りを捧げていたことを、今は懐かしく思い出す。恥ずかしながら、生まれ育った自身の環境に抵抗感が強く、思えば自分の寺ではなく、この小学校での給食が、祈りの習慣の原点であったと感じる。

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