「時代」の声を伝えて――文学がとらえた80年(23)番外編7 文・黒古一夫(文芸評論家)

これまでにも何度か言及してきたように、近代あるいは戦後の日本は、「豊かさ」を求めて必死に走り続けてきたと言っても過言ではない。それは1960年代半ばに流行った「エコノミック・アニマル」という言葉が象徴しているし、GDP(国民総生産)世界第二位(現在は第三位)は、その見事な結果であった。

世界中の不動産を買いまくった80年代後半の「バブル経済」は、まさに追い求めてきた「豊かさ」が何であったかを如実に示していた。巷(ちまた)にはさまざまな「物」があふれかえり、まさに私たちの「夢」が現実となったことの証しであったのだろう。同時に、私たちの「欲望」に切りがないことを証し立てた。

しかし、そこには代償があった。私たちは「豊かさ」を得る代わりに、多くの大切なものを「喪失」した。失った「大切なもの」――それはバブル経済期にさまざまな局面で「玩物喪志」(モノ・カネにこだわり心=精神の重要性を忘れてしまうこと)という言葉が聞かれたが、まさに「心=精神」であった。別な言い方をすれば、自分と同じように他者を大切にする(愛する)「共生」の思想である。その後、「カネ・モノ」が全てであり、「金で買えないものはない」と豪語してはばからない起業家が登場するが、そうした存在が全てを物語るように、「人の心=精神や生命」を蔑(ないがし)ろにする風潮が高度経済成長の成功以降の世の中に生まれ、着実に広がり、蔓延(まんえん)するようになっていったのである。

【次ページ:人の心が置き去りにされると……】