佼成会、あの日、あの時

平和に取り組む宗教者

1951年、諸宗教の指導者と共に新日本宗教団体連合会(新宗連)の結成に尽力。65年には、カトリック教会から招かれ、「第二バチカン公会議」に出席し、ローマ教皇パウロ六世に謁見(えっけん)した。席上、教皇は庭野開祖の両手を握り締めたまま、「宗教者がたがいに手をたずさえて平和の道を歩むほかに、宗教者が人類に貢献できる道はありません」と語り掛け、庭野開祖はこの時、「宗教協力は必ずできる」と確信した。

以後、さらに精力的に国内外の宗教指導者と交流を重ね、その願いが大きな実を結ぶ。70年、世界39カ国から約300人の宗教者が京都に集い、「世界宗教者平和会議」(第1回WCRP世界大会)が開催されたのだ。庭野開祖はWCRP、さらにアジア宗教者平和会議(ACRP)の創設に尽くし、これらの運営を通して諸宗教対話・協力による平和の実現に力を注いだ。

78年には「第1回国連軍縮特別総会」(SSDⅠ)にWCRP国際委員会の代表として登壇。米ソをはじめ各国首脳に対し、「危険をおかしてまで武装するよりも、むしろ平和のために危険をおかすべきである」と訴えた。翌79年、それまでの功績が認められ、宗教界のノーベル賞と称される「テンプルトン賞」を受賞した。

仏の使い走りに徹し、平和行脚に奔走し続けた庭野開祖――念願した、平和のための諸宗教対話・協力は今日、世界の潮流になっている。来年2019年8月、ドイツで「第10回WCRP世界大会」が行われる。

平和に取り組む宗教者

第1回国連軍縮特別総会

テンプルトン賞

立正佼成会を創立した庭野日敬開祖

庭野日敬開祖は1906年11月15日、新潟・中魚沼郡十日町大字菅沼(現・十日町市菅沼)に、庭野重吉、ミイの次男として生まれた。

菅沼の冬は雪深い。厳しい自然環境の中で、庭野開祖は幼い頃から、家族や故郷の人々の姿を通し、人間は助け合って生きていくことが大事であると学んで育った。中でも、村の住人に慕われた祖父・重太郎はいつも愛情を注ぎ、「いい子になるんだぞ。人さまに迷惑をかけない、人さまのためになる人間になるんだぞ」と、幾度となく言葉を掛けた。実直な父は、「なるべく暇がなくて、給料の安い、骨の折れるところ」へ奉公するようにと諭した。

庭野開祖はそうした教えを胸に、16歳の夏に上京。人一倍仕事に精を出す一方、いくつかの信仰遍歴を経て、恩師・新井助信師と出会い、法華経の講義を受ける。これを機縁に、その教えに深く帰依するとともに、布教伝道にいそしんだ。38年3月5日に、自らが導いた長沼政(後の長沼妙佼脇祖)と共に、30人足らずの会員で立正佼成会(当時、大日本立正交成会)を創立した。当時、庭野開祖は31歳。牛乳店を営みながら、在家仏教者としての出発だった。

「人を救い、世を立て直す」――創立の時に期した精神を心に刻み、困っている人がいると聞けば足を運んで、布教伝道に尽くし、やがて大きな教団に発展していった。99年3月5日の創立記念式典で、庭野開祖は、こう述懐している。「私が本会を創立した願いは、一人でも多くの人に法華経に示された人間の生き方を知ってもらい、本当の幸せを自分のものにして頂きたい、ということでありました」。

11月15日には、大聖堂をはじめ全国各教会で「開祖さま生誕会」が行われる。

全国布教

創立記念日

大池小学校で

お会式・一乗まつり

「お会式」は、日蓮聖人の遺徳を偲(しの)び、入滅した10月13日に行われる法会のことで、日蓮宗の寺院を中心に、塔を模した万灯の行進が営まれる。万灯に造花を飾るのは、日蓮聖人が入滅した日に、桜の木が季節外れの花を咲かせたという故事による。

立正佼成会によるお会式万灯行進が初めて行われたのは、1949年10月13日。日蓮宗日円山妙法寺(東京・杉並区)のお会式に参加するため、全国から会員約1万1000人が集った。万灯、マトイ、笛、鉦(かね)、太鼓で構成された隊列が、当時の本部(現=本会発祥の地・修養道場)を出発し、妙法寺に向けて行進した。

翌年には、日蓮宗霊跡本山寂光山龍口寺(神奈川・藤沢市)でのお会式に本部班が参加。51年から、本会の単独行事「立正佼成会お会式」となり、新宿・渋谷・中野など8カ所から本部へ向かうルートで行われた。その後、本部班と東京の教会を中心に営まれ、盛大に催されてきた。

2000年からは、名称を「お会式・一乗祭(いちじょうさい)」とし、お会式の意義とともに、1999年10月に入寂(にゅうじゃく)した庭野日敬開祖が大切にした、法華経の「一乗の精神」を万灯行進に込めた。参加教会も大幅に増え、NGOの活動紹介や地方の名産品を会員が販売する物産展、子供向けのイベントも行われるなど、さらに充実感を増した。

教団創立70周年を迎えた2008年には「お会式・一乗まつり」となり、近隣住民からも親しまれている。

明るく元気に

大聖堂建設前のお会式

異体同心

「慈母」と慕われた長沼脇祖

長沼妙佼(ながぬま・みょうこう)脇祖が、庭野日敬開祖に導かれ、法華経に出遇(であ)ったのは46歳の時。それまでの半生は、苦労の連続だった。幼い頃に母親を失い、教育も受けられないまま社会に出て、家を支えるために懸命に働いた。その後は、子供の病死や離婚を経験。生来の病弱に加えて、長年の無理がたたり、重い病気を患っていた時に導かれたのだった。

体調を回復した長沼脇祖は、信仰の道を一途(いちず)に歩み始める。1938年3月5日、立正佼成会(当時・大日本立正交成会)の創立と同時に、本名の「政」から「妙佼」に改名。法華経の教えと庭野開祖の指導を身をもって示して法の「証明役」に徹し、人々の救いのために教えを伝え、会員の育成に全てを注いだ。

生まれながらにして貧しさを嫌というほど味わい、他人の中で苦労を重ねた長沼脇祖は、人情の機微に極めて通じていた。時に厳しい指導によって会員を導き、同時に全ての人をわが子のように慈しむ慈悲にあふれた触れ合いは「厳愛の二法」と呼ばれ、会員からは「慈母」と慕われた。

57年9月10日、67歳で遷化。本会の礎を築き、発展に大きく貢献し、人々の幸せのために尽くした慈悲の生涯を讃(たた)え、2000年に庭野日鑛会長から「脇祖妙佼慈道菩薩」の法号がおくられた。9月10日には大聖堂はじめ全国各教会で「脇祖さま報恩会」が行われる。

長沼妙佼脇祖

全国から寄せられた救援物資

関東大震災殉難者慰霊供養

戦争犠牲者慰霊と平和への祈り

第二次世界大戦の「終戦の日」として8月15日は、日本各地で戦争犠牲者を悼み、恒久平和を祈念する式典や集会が行われる。立正佼成会では、第二次世界大戦をはじめ、世界のあらゆる戦争で犠牲となった人々に深い哀悼の誠を捧げ、世界平和を祈念する式典として「戦争犠牲者慰霊・平和祈願の日」を1981年から実施している。また、夏休みの期間中には戦争を知らない学生や青年を対象に、広島や長崎、沖縄などで平和学習を行い、慰霊供養を営む。本会が加盟している新日本宗教団体連合会(新宗連)では毎年8月14日、東京・千代田区の国立千鳥ヶ淵戦没者墓苑で、宗教の違いを超えて共に戦争犠牲者を慰霊するとともに「絶対非戦」「平和実現」への誓いを新たに「戦争犠牲者慰霊並びに平和祈願式典(8.14式典)」を開催している。

平和への努力こそ真の慰霊

100万羽の折り鶴

高校生たちの慰霊供養

青少年育成

立正佼成会の本部に「青年部」(現・青年ネットワークグループ)が1949年に発足して以来、本会はさまざまな活動を実施し、次世代を担う青少年の育成に取り組んできた。法華経精神を基盤とした人材の育成を目的に青年らの力で建設された「青梅練成道場」にはこれまで、延べ約125万人を超える会員が訪れ、研修や大勢の仲間との語り合いの中でそれまでの生活を振り返り、自己を見つめ直す機会としてきた。小学生(少年部)の活動としては、庭野日敬開祖の生誕地である新潟・十日町市菅沼で毎年行われている「菅沼子ども村」が盛んだ。野外活動を通して自然の豊かさに触れ、神仏やあらゆるいのちを敬う心を育んでいる。教団創立70周年を迎えた2008年には「青少年 本部参拝」(全18回)を開催。少年、学生、青年男子、同女子、同婦人からなる青年部員延べ約4万5000人が大聖堂を訪れ、講話や識者の講演、芸術鑑賞などの参拝プログラムに臨んだ。

青梅練成道場

青少年 本部参拝

菅沼子ども村

宗教対話・協力

世界の人々が共に暮らし、平和と繁栄を共有していくには、対話を通して互いを理解し、尊重し、信頼を築くことが欠かせない。宗教についても同様とされる。立正佼成会では、諸宗教間の対話・協力を積極的に行っている。その中心の一つが、世界宗教者平和会議(WCRP/RfP)における活動。庭野日敬開祖はその創設に尽力し、1970年に京都で開かれた第1回世界大会では、世界の宗教指導者約300人が一堂に会し、歴史的な出会いを果たした。以来、WCRP/RfPは、世界最大規模の諸宗教対話・協力組織として平和実現に向けた活動を展開している。一方、国内においては、日本宗教連盟(日宗連)、新日本宗教団体連合会(新宗連)と連携し、さまざまな取り組みを行う。このほか、本会は教団創立40周年の記念事業として庭野平和財団を設立。宗教協力を通じて世界平和の推進に顕著な功績を上げた人(団体)をたたえる「庭野平和賞」の授与をはじめ、宗教的精神を基盤とした平和のための思想、文化、科学、教育などの研究や活動への助成を行っている。

新宗連

「第1回庭野平和賞」

WCRP青年世界大会

世界平和へ 身近な菩薩行

立正佼成会では毎年、身近にできる国際支援活動として「一食(いちじき)ユニセフ募金」「アフリカへ毛布をおくる運動」「親子で取り組むゆめポッケ」に取り組んでいる。「一食ユニセフ募金」は、1979年にスタートし、街頭で市民に募金への協力を呼び掛けてきた。ユニセフを通じて支援された浄財は69億円を超える。「アフリカへ毛布をおくる運動」は、日中の気温が30度を超え、朝晩は氷点下近くまで冷え込むことがあるアフリカの高原地域に住む貧しい人々や、HIV(エイズウイルス)陽性者、障害者のいのちを守るため、日本の毛布を届ける取り組み。この運動は現在、本会を含めた4団体で構成されている。また、紛争や迫害によって厳しい状況下で暮らす子供たちの幸せを願い、手作りの袋(ゆめポッケ)に文房具やおもちゃなどを詰めて届ける「親子で取り組むゆめポッケ」は、小学生や中学生を中心に進められている。

一食ユニセフ募金

アフリカへ毛布をおくる運動

ゆめポッケ

創立

1938年3月5日、庭野日敬開祖、長沼妙佼脇祖によって「大日本立正交成会」(60年、「立正佼成会」に改称)が創立された。本部は、東京・中野区神明町で牛乳店を営む庭野開祖の自宅の2階に置かれた。名称の「立正」とは、「この世に正法、すなわち『法華経』の教えをうちたてる」という意。佼とは「信仰的な交わり」、成は「人格の完成、成仏」という理想を表したものだ。42年には、会員の増加に伴い、本部道場を杉並区和田本町に。終戦後、会員の増加に伴い、それまでの道場では手狭になり、49年に本部道場(現・発祥の地修養道場)が建設された。生活は苦しかったが、多くの人が仏道に目覚め、教えを実践した。

草創期の花まつり

教えを求めて

庭野開祖と長沼脇祖