「時代」の声を伝えて――文学がとらえた80年(6) 文・黒古一夫(文芸評論家)

画・吉永 昌生

戦争小説が示す現代社会への警鐘

補給路を断たれ、窮地に陥った戦場で、日本軍将兵が生き延びるための最後の手段とした「人肉食い」。それはまさに人間の尊厳を否定する象徴的な行為であった。と同時に、人間をそのような「狂気」に追い込む戦争の「本質」の一端を表すものでもあった。理由は、戦場において生き延びるための「人肉食」も、戦争の本質である「殺し合い」の論理と倫理の果てに選ばれた究極の選択と言ってよく、戦争がなければ「人肉食い」も生じなかったと考えられるからである。

そのような人間観・戦争観から、この『野火』が開示する世界を見れば、昨今の北朝鮮の「核の脅威」や中国の覇権主義を理由に進められている自衛隊の専守防衛を逸脱したような装備の拡充、マスコミの一部や国会論議に見られる「すぐにも戦争が始まるかのような」言動は、いかにも「浮ついた」危険なものとしか思えない。その意味で、『野火』は先の『遥拝隊長』や『海と毒薬』などと共に、「正義の戦争」なぞ絶対存在せず、そして戦争になれば必ず「人が死に」、「戦争に勝者はいない」という厳然たる歴史的事実を、私たちに教えてくれる戦争小説であったということである。

プロフィル

くろこ・かずお 1945年、群馬県生まれ。法政大学大学院文学研究科博士課程修了後、筑波大学大学院教授を務める。現在、筑波大学名誉教授で、文芸作品の解説、論考、エッセー、書評の執筆を続ける。著書に『北村透谷論――天空への渇望』(冬樹社)、『原爆とことば――原民喜から林京子まで』(三一書房)、『作家はこのようにして生まれ、大きくなった――大江健三郎伝説』(河出書房新社)、『魂の救済を求めて――文学と宗教との共振』(佼成出版社)など多数。