「普門館からありがとう~吹奏楽の響きたちへ~」来場者の思い

普門館へのメッセージをつづる来場者(文とは関係ありません)

▼今から8年前の2010年、東京・東村山市にある中学校で吹奏楽の指導員をしていました。その年に行われた吹奏楽の全国大会の予選会(東京都大会)で、同じ中学校の吹奏楽部の指揮者として、普門館の舞台に立たせて頂きました。実はその頃、指導員の仕事と並行して、佼成ウインドオーケストラ(TKWO)のステージスタッフとして、楽器の管理や輸送のほか、コンサート会場でのイベントサポートなどの業務にも携わっていました。ダグラス・ボストックさんの指揮によるオーケストラ演奏の録音作業も行った経験があったので、同じ舞台で自分が指揮をするなんて恐れ多いことだと思いました。それでも何とか無事に指揮ができたのも、誰にも門戸を開放する寛容な精神を備えた普門館が、私を優しく見守ってくれていたからなのかもしれません。本当に貴重な経験をさせて頂いたと思っています。現在は埼玉県内で、コンサート企画・制作のほか、楽器演奏のレッスンなどを行う会社を経営していますが、仕事で大変なことや悩むことがあった時には、あの漆黒の舞台と温かな色の照明の中で指揮をした思い出に励まされています。私の人生に重要な影響を与えてくれた普門館にひと言、「ありがとう、そして、お疲れさまでした」と言いたいです。
(39歳・男性・埼玉)

▼2011年の全国大会(全日本吹奏楽コンクール中学の部)に沖縄県代表として出場しました。私はトランペットで、ステージに立った時、どこまでも客席が続くような会場の広さに圧倒され、緊張したことしか思い出せません。翌年から会場が変わり、私たちは普門館で行われた全国大会の最後の出場者になってしまいました。最後と知らないまま、突然に別れを告げられたかのような寂しさでしたが、普門館がなくなると聞いた時の衝撃はそれ以上でした。今日は、当時一緒に演奏した同級生と二人で、全国大会出場以来のステージに立ちました。学校の部活では、「全国大会 金賞!」と記した模造紙を音楽室の天井から掲げ、仲間と練習に明け暮れました。夢であり、目標だった普門館を目指した私たちの思い出は、一生の宝物です。今回、「さよなら」と「ありがとう」の両方を伝えられたので、最後にいい思い出をつくることができました。
(A.Nさん・21歳・女性・大学生)

▼中学で吹奏楽部員だった姉が全国大会に出場することになり、私は母と二人で演奏を聴くため、初めて普門館を訪れました。姉の演奏に感動した私は、中学の吹奏楽部でサックスを吹くようになり、今も続けています。今日は仕事を終えてから普門館に寄ろうと決めていました。かつて吹奏楽部員としてこの舞台に立つことを夢見ていた自分が、音を出さないわけにはいかない、そんな思いでした。ただ、サックスを背負って満員電車で通勤するのは厳しく、考え抜いた結果、ビジネスバッグに入る楽器として、リコーダーを持参しました。ステージから客席を見てすぐに思い出したのは、高校3年生の時、当時お付き合いしていた吹奏楽部のマネジャーと二人で、1978年の全国大会を見に来たことです。僕たちは一度もこのステージに上がったことがありません。悔しくないわけではありませんでしたが、お互い、純粋に吹奏楽が好きだったので、2階席後方で楽しく鑑賞したことを覚えています。彼女は今、僕の嫁さんです。偉大で愛すべき普門館。この広いホールを見渡すだけで、胸いっぱいになり、感謝の気持ちがあふれてきます。
(58歳・男性・東京・会社員)