「普門館からありがとう~吹奏楽の響きたちへ~」来場者の思い

▼中学時代の3年間、(前出の)先生の指導を受けながら、トロンボーン奏者として吹奏楽漬けの日々を送りました。都大会などで何度も普門館の舞台に立たせてもらっていたので、憧れの聖地という感情と同時に、自分のホームグラウンドのような感覚がいつもありました。2011年の3年生の時、部長としてこの舞台に立たせて頂きました。結果は銀賞で非常に悔しい思いをしましたが、今思えば、普門館が会場となる最後の全国大会の舞台に立てたのは本当に幸運でした。やはり、この聖地がなくなるのは寂しいです。来春には大学を卒業し、地元で教員の第一歩を踏み出す予定です。希望は、もちろん母校で吹奏楽部の顧問を務めること。先生のような厳しくも温かい指導スタイル、それから、誰にも門戸を開くという精神を持つ普門館の懐の深さの両方を受け継いで、心の広い教諭になることを目指します。
(22歳・男性・東京)

▼長野県の高校で吹奏楽部に入り、暑い日も寒い日もチューバの練習に明け暮れていました。結果的にこの舞台には立てませんでしたが、それでも、「目指せ普門館」を合言葉に、皆で練習に励んでいました。今日、こうして「黒」の舞台に立てて、とてもうれしいです。舞台の色合いや匂い、楽器の響き、床の感触などを、体全体で味わいたくて、一つ一つ敏感に感じ取りました。建物がなくなるのはとても悲しいですが、今日この舞台に立てた感動を、今、高校で吹奏楽部に所属する娘に伝えたいです。
(47歳・男性・長野)

▼京都府にある洛南高校時代、フルートを手に1988年と89年の2回、全国大会でこの舞台で演奏をさせて頂きました。吹奏楽の奏者にとって、普門館は憧れの聖地です。ここに来れただけで名誉なことです。なぜなら、吹奏楽の場合は高校野球の全国大会(甲子園)に出場できる倍率よりもかなり高く。狭き門だからです。それだけに、88年に金賞、89年に銀賞を獲得できたことは、自分でもすごいことだと思います。この思い出は、私にとって、何物にも代え難い「一生の宝物」となっています。人生でどんなにつらいことがあっても、あの時の輝かしい栄光を思い起こしては気持ちを奮い立たせ、乗り切ってこれました。かなわぬ夢と知りつつも、やはりどうしても、この普門館には、「どうかつぶれないでほしい」という思いが今も心に強く残ってしまいます。今、母校に息子が入学してくれて、同じ吹奏楽部に入り、サックスで頑張っているので、せめて彼には、自分の経験とともに、吹奏楽の殿堂たる普門館のすごさ、素晴らしさを伝え続けていきたいと思います。
(宇仁田龍さん・47歳・京都)