「普門館からありがとう~吹奏楽の響きたちへ~」来場者の思い

▼今、お笑いの世界で、吹奏楽をネタにした芸人として活動しています。その原点は間違いなく普門館です。小学3年生で吹奏楽を始め、2006年に高校の福島県代表として全国大会に出場し、金賞を取りました。ステージに立つのは12年ぶりです。演奏の際には真っ暗で見えなかった客席が今日ははっきりと見え、新鮮な気持ちがしました。ただ、ここに立っているだけで、当時演奏した思い出の「交響曲」(作曲・矢代秋雄)が頭の中で鳴り響き、緊張感で身の引き締まる思いです。まさかお笑い芸人として、「吹奏楽の聖地」に対して別れを告げに来るとは思ってもいませんでした。今、吹奏楽をネタにさせて頂けるのは、ここを目指し、がむしゃらにやってきた日々があったから。吹奏楽に育まれた芸人として、人々に笑いをお届けしたいと思います。
(30歳・女性・お笑い芸人)

普門館には、高校生や大学生も大勢訪れた

▼最後に普門館の空気を吸わせてあげようと思い、今日は全国大会を見に来た時に買った普門館のミニチュアペーパークラフトを持参しました。中学、高校と吹奏楽部で普門館を目指しましたが、この舞台には立てませんでした。初めて普門館を訪れたのは2007年の全国大会です。素晴らしい演奏にうなりましたし、舞台上の生徒たちの真剣な表情、表彰の際の歓喜の声……、舞台に立つ一人ひとりにドラマがあることに感動しました。以来毎年、全国大会のチケットの抽選販売を申し込んでいます。当選した時は、チケットに普門館の最寄り駅である「方南町」の文字が印刷されるように、方南町まで来て、コンビニでチケットを発券していました。そして、その足で普門館を訪れ、当選の「お礼参り」として感謝を伝えていました。これは、全国大会の会場が名古屋になった今も続けています。普門館のホールには、特別な空気が漂っています。それはきっと、吹奏楽部員が全国大会の舞台を目指す、強い気持ちが詰まっているからなのでしょう。だからこそ、“聖地”と呼ばれ、今も愛され続けているのだと思います。姿形がなくなるのは信じられませんが、僕の胸に普門館は永遠に生き続けます。最後にこの黒い床の上に立つ機会を頂けて、とても幸せです。
(29歳・男性・茨城)

▼このステージに立つのは中学2年生以来34年ぶりです。黒く輝く床、天井の丸い装飾……、目の前の光景に当時の記憶が呼び起こされ、眺めているだけで込み上げるものがありました。ホルンで全国大会に出場した私は、翌年もこの舞台に立てると信じていました。しかし願いはかなわず、もう一度この舞台で演奏したい一心で、高校、大学でも楽器を続けました。地元の北海道で中学の社会科教諭になった私は、再び普門館を目指すため、吹奏楽部の顧問をしています。いまだ全国大会出場の夢を実現できていないのですが、現在も顧問を続けられるのは、普門館で一度しか演奏できなかった悔しさがあったからです。私の原動力です。中学で小編成のバンドを指揮していますが、〈全国大会なんて夢のまた夢〉などと弱気になってしまうことがないわけではありません。しかし今日、自分の原点に立ち、吹奏楽部の顧問として定年まで全国大会出場の夢を追いかけようと、改めて誓いました。明日も朝から吹奏楽部の練習があります。普門館から頂いたエネルギーを糧に、生徒たちに向き合いたいと思います。
(50歳・男性・北海道・中学校教諭)