『辺野古建設反対運動になぜ宗教者が取り組むのか』 日本基督教団佐敷教会 金井創牧師

海上での抗議活動について語る金井牧師(「Zoom」の画面から)

現在、沖縄・名護市辺野古で米軍の新基地建設工事が進められています。私は牧師として15年前に沖縄に赴任して以来、基地建設反対運動に取り組んできました。辺野古の海に出て、船上から抗議の声を上げ続けています。それはなぜかといえば、基地建設はまさに「いのちの問題」だからです。

沖縄は戦後、米軍の“出撃基地”になりました。ベトナム戦争やイラク戦争などの際には、基地から派遣された軍隊が戦地で多くの尊い命を奪ったのです。一方、米軍兵も戦闘によって命を落としました。また、帰還兵の中には、戦争が原因で心を病み、自殺した人も少なくありません。戦争は何一つ良いものを生み出さないのです。

もうこれ以上、誰も死んでほしくない。誰も殺してほしくない。命を大事にしてほしい。戦争につながるものを何とかやめさせたい。それが私の心からの願いです。

昨年、辺野古を埋め立てる土砂の調達先として、沖縄本島南部が候補地に加えられました。南部は沖縄戦の激戦地で、今も犠牲になった人々の遺骨が見つかります。犠牲者が眠る土を掘り返し、戦争のための基地建設に使うことは犠牲者への冒とくであり、再び遺族の心を傷つけるものです。人道上、許されるものではありません。戦争犠牲者の慰霊を続けてきた沖縄の宗教者たちの祈りも踏みにじる行為です。

慰霊とは、過去に目を向けるだけではありません。現在も続く問題と向き合い、これから先も二度と戦争犠牲者を出さないような社会をつくっていく――それが真の慰霊であり、今を生きる私たち、特に宗教者の務めではないかと思います。多くの人に沖縄の基地問題に目を向けてほしいと願っています。

そして同時に、一人ひとりが日常の場で平和をつくっていくことも大事です。私たちの日常にはさまざまな差別や不公平、いじめなどがあります。社会全体は何となく秩序や調和が保たれているように見えても、実際には誰かが涙を流したり、犠牲になったりしている状態で、それを平和とは言えません。身近にいじめられている人がいれば、「やめよう」と声を上げましょう。勇気がいることですが、それぞれの場で平和をつくることが、平和な世の中につながるのだと信じています。

平和をつくるには、その手段も平和的でなければなりません。暴力は新たな暴力を生み出します。人間が歴史の中で繰り返してきたことです。どの宗教も「いのちを大切に」と説いており、その教えを祈りや行動として表し、暴力によらない方法で平和をつくっていきましょう。一人ひとりの勇気ある行動が世界を変える大きな一歩となるのです。

(7月25日に行われた西日本教区の「リモート平和学習(沖縄Ver.)」=本紙8月8・15日付合併号既報=講演から。文責在記者)

プロフィル

かない・はじめ 1954年、北海道生まれ。早稲田大学卒業、東京神学大学大学院修士課程修了。日本キリスト教団富士見町教会副牧師、明治学院チャプレンを経て、2006年より現職。抗議船を自ら繰り、辺野古新基地建設抗議の海上行動を続けている。著書に『沖縄・辺野古の抗議船「不屈」からの便り』など。