寄稿(連載)

清水寺に伝わる「おもてなし」の心(7) 写真・文 大西英玄(北法相宗音羽山清水寺執事補)

清水寺門前会との絆

ある時、弟子の阿難尊者が「よき友を持つということは修行において半ばを成就したに等しいと思うのですが、いかがでしょうか」と、お釈迦様にお尋ねになった。すると、お釈迦様は以下のように答えられた。

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現代を見つめて(51) 歴史を見る“眼” 文・石井光太(作家)

歴史を見る“眼”

コロナ禍の中で、七十五回目の終戦記念日がもうすぐ訪れる。

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利害を超えて現代と向き合う――宗教の役割(41) 文・小林正弥(千葉大学大学院教授)

大いなる慈しみと悲しみ

先月の明るい気分もつかの間に終わってしまった。東京都の新型コロナウイルスの新規感染者数が連日200人台に上がったにもかかわらず、政府も都も対応策を取ろうとしない。「休戦状態」の期間に次の危険に備える必要性を前回指摘したが、日本はそうせず、戦火が再び上がってさえも事態を放置しようとしているのだ。それどころか、政府は「Go To トラベル」事業を前倒しにすると発表し、批判を受けて東京だけ除外した。

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心の悠遠――現代社会と瞑想(16)最終回 写真・文 松原正樹(臨済宗妙心寺派佛母寺住職)

歩くことで道は出来る

1999年10月、私のサンティアゴ・デ・コンポステーラ巡礼路(スペインの世界遺産、キリスト教の聖地)の旅は、マドリードの北東約400キロに位置するザビエル城から始まった。ここは日本にキリスト教を伝えたフランシスコ・ザビエルの生誕地ならびに幼少時代の住居として知られる。

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清水寺に伝わる「おもてなし」の心(6) 写真・文 大西英玄(北法相宗音羽山清水寺執事補)

利休の茶の極意

「『感謝』の反対は『当たり前』」という表現を耳にしたことがある。新型コロナウイルスの感染拡大に伴い、我々を取り巻く状況は大きく変化した。今まで当たり前のこととすら認識していなかった環境が、実はどれだけ恵まれたものであったかを思い知らされている。

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現代を見つめて(50) オンライン化だけでいいの? 文・石井光太(作家)

オンライン化だけでいいの?

コロナショックは、企業の経済活動のリモートワーク(遠隔労働)化を推し進めたものとして記憶されるだろう。

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心の悠遠――現代社会と瞑想(15) 写真・文 松原正樹(臨済宗妙心寺派佛母寺住職)

一大事とは、今日只今の心なり

令和元年9月29日、立正佼成会川崎教会の発足60周年記念式典に参列させて頂き、『一大事とは、今日只(ただ)今の心なり』というテーマで話をさせて頂いた。

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利害を超えて現代と向き合う――宗教の役割(40) 文・小林正弥(千葉大学大学院教授)

二重の明るいニュース

先月、この連載で、私たちは二重の危機にあると記した(第39回)。新型コロナウイルス問題による生命の危機と、検察庁法改正による「法の支配」の危機だ。その直後の5月25日に緊急事態宣言が解除され、これに先立つ同20日に政府は検察庁法改正を断念した。どちらも、久しぶりの明るいニュースだ。でも、安堵(あんど)はできない。私たちはここで何を考えて、どう行動すべきだろうか。

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清水寺に伝わる「おもてなし」の心(5) 写真・文 大西英玄(北法相宗音羽山清水寺執事補)

出会いの尊さ

「客人を迎えるとは何か」。別に問答でもなんでもない。端的に言えば、自分は相手と出会い、相手は自分と出会うということだ。特に後者の意識が往々にして欠けていることがある。いずれにしても、この相互交流をより有意義にするため、出会いの尊さを自覚するとともに、人と人が向き合って「間(ま)」ができて「人間」となる訳で、その「間」の智慧(ちえ)を知るべきだと考える。

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現代を見つめて(49) 応援 文・石井光太(作家)

応援

「年末に店をオープンしてようやく軌道に乗ったと思ったら、いきなり新型コロナウイルスの流行で閉店の危機に陥りました。なんとか家賃の一部でも稼ごうとしてテイクアウトをはじめたところ、驚いたことにたくさんの人が“応援”と称して買いに来てくれました。一人暮らしの人まで、『騒動が収まるまで支えるから』って言って、食べきれないほど買ってくれたんです」

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