寄稿(連載)

共生へ――現代に伝える神道のこころ(4) 写真・文 藤本頼生(國學院大學神道文化学部准教授)

神道を暮らしに活かすため いま一度知りたい「神社の役割」

前回は『日本書紀』の三大神勅(しんちょく)を中心に神話の指し示す考え方について述べた。読者の中には、神話の世界観もいいが、日本の神々や神社の違いについて知りたいと思う方もいると思う。そこで今回は、神道の教えを日々の暮らしに活かすためにも、「神社」というものの理解とともに、神社に祀(まつ)られる神々の分類について述べたい。

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現代を見つめて(61) ミャンマー政変に思う 文・石井光太(作家)

ミャンマー政変に思う

日本にいると、ミャンマーで起きた国軍のクーデターが、ずいぶん前のことのように思えるかもしれない。

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利害を超えて現代と向き合う――宗教の役割(51) 文・小林正弥(千葉大学大学院教授)

社会的不幸の中で生き延びる鍵

因果律(どのような事象も全て何らかの原因の結果として生じるという考え方、法則)を基に、一人ひとりの「個人的因果」と集合的な「政治的因果」を考えることができる。後者による結果が、“社会的な不幸”となって現れ、今月に入ってこれまで以上にそれが明らかになってきているのが今の日本の状況だ。

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共生へ――現代に伝える神道のこころ(3) 写真・文 藤本頼生(國學院大學神道文化学部准教授)

日々、神々を祀り、神を丁重に敬うことで清く明るくより良く生きる

前回は『古事記』について多くの行数を割いたので、今回は『日本書紀』に記載されている内容について、少し述べてみたい。

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現代を見つめて(60) “快挙”の背景 文・石井光太(作家)

“快挙”の背景

東京五輪の競泳代表に、池江璃花子さんが内定した。二〇一九年二月に白血病を告白し、一度は出場を諦めたものの、コロナ禍の中で治療と練習を積み重ね、見事に競技の場に復活を果たしたのだ。

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利害を超えて現代と向き合う――宗教の役割(50) 文・小林正弥(千葉大学大学院教授)

因果は眩ませない

禅の公案に「不落因果」という言葉が出てくる(『無門関』第二則「百丈野狐」)。ある僧が修行者から、長年修行を重ねた人でも因果律(あらゆる現象は何らかの原因から生じた結果であるという法則)にとらわれるのかと問われ、大悟した人は「不落因果(因果律の制約を受けない)」と答えたところ、その答えが誤りであったために、僧は長期間にわたって野狐(やこ)に身を堕(お)とされてしまう。その後、「不昧因果(ふまいいんが・因果律を眩=くら=ませることはできない)」と喝破した百丈禅師の言葉を聞いて大悟するという逸話である。

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共生へ――現代に伝える神道のこころ(2) 写真・文 藤本頼生(國學院大學神道文化学部准教授)

日本神話が伝える豊かな世界観は、今を生きる私たちへのメッセージ

『古事記』や『日本書紀』といえば、まさに日本神話の代名詞であり、神道の代表的古典ともいうべき書物である。『古事記』は、和銅五(七一二)年の撰上(せんじょう)から本年で千三百九年目、『日本書紀』も昨年(二〇二〇年)が養老四(七二〇)年の撰上から千三百年という佳節であった。

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現代を見つめて(59) 自分事とは 文・石井光太(作家)

自分事とは

近年、新聞等のマスメディアでジェンダー(社会的につくられた性)の問題が取り上げられることが多くなった。

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利害を超えて現代と向き合う――宗教の役割(49) 文・小林正弥(千葉大学大学院教授)

悪因悪果と善因善果

東京、神奈川、千葉、埼玉の1都3県で緊急事態宣言が3月21日をもって解除された。しかし喜ぶわけにはいかない。実際には、二度も期間延長したにもかかわらず、ここにきて新型コロナウイルスの新規感染者数は東京都などで増加に転じているからだ。緊急事態宣言と言っても実質的な施策が不十分であることをこの連載で指摘してきたが、残念ながら懸念した通りになってしまった。変異株が拡大し始めているので、本来ならば緊急事態宣言が解除できなくなってしまったことを認めて、その内容の大幅な拡充強化を改めて宣言しなければならないところだ。

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共生へ――現代に伝える神道のこころ(1) 写真・文 藤本頼生(國學院大學神道文化学部准教授)

神道への理解は、多様性を許容し合う社会で大切な考え方の一つに

「神道と福祉との関係性を一緒に研究してみないか」という恩師からの何げない一言がきっかけとなり、神道の学問研究を志すようになってから、はや二十四年を経た。小生は現在、全国に二校しかない神道系大学の一つである國學院大學の教員を務めているが、神道は学べば学ぶほどに未知のことが多く、まだまだ自身の勉強不足は否めない。さらなる研究の深化を求めて、各地の神社や祭礼に足を運び、種々の史料や書籍、学術論文などと苦闘、煩悶(はんもん)する日々を過ごしている。

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