清水寺に伝わる「おもてなし」の心(1) 写真・文 大西英玄(北法相宗音羽山清水寺執事補)

得手不得手にかかわらず目の前の精進を、懸命に

「どうして和尚をしているのか」。この質問を受けた時、私はこうお答えする。「自身の選択というより、その背後に神仏の導きが確かにあると心より肯定できるように、和尚を続けている」と。

帰山以来約12年、縁の大小、好き嫌いや得手不得手にかかわらず、微力ながら努めてきた。お陰様で自身の意を超えた多数の導きを仰ぎながら今日に至る。神仏の導きと感得するには、まだ行が不十分かもしれないが、目の前の精進、そこに自分で感じる自身の限界という不必要な設定をせず、私利私欲といった不純物を極力混ぜずに努めることを続けるならば、おかしな所へは行き着かないと心から信じられるように、少なくとも導いて頂いたと思う。

今回、寄稿の縁を頂いた時、摩訶不思議な導きを感じた。初めはこれまで寄稿されてきた諸先生方の御法光の偉大さを思い、果たして務まるかという不安が正直先走ったが、しかしこれも自身の意を超えた仏の導きではと、思えた。ならばただ懸命に尽くすべきと、まずは自己紹介の意味を込めて、これまで歩んできた道を記したのである。

プロフィル

おおにし・えいげん 1978年、京都府生まれ。2000年に関西大学社会学部卒業後、米国に留学。高野山での加行を経て、05年に清水寺に帰山し、僧職を勤める。13年に成就院住職に就任。14年に世界宗教者平和会議(WCRP/RfP)日本委員会青年部会幹事、19年に同部会副幹事長に就いた。現在、清水寺の執事補として、山内外の法務を勤める。日々の仏事とともに、大衆庶民信仰の入口を構築、観光客と仏様の橋渡しを命題とし、開かれた寺としての可能性を模索している。

【あわせて読みたい――関連記事】
清水寺に伝わる「おもてなし」の心