清水寺に伝わる「おもてなし」の心(11) 写真・文 大西英玄(北法相宗音羽山清水寺執事補)

清水寺で同じ日に得度し、共に法務を勤める四人。右から森清顕師、大西皓久師、大西晶允師、大西英玄師

誠の謙虚と信頼を分かち合い 多様な中での共通項を指針に

清水寺には僧職が八人いる。こう言うと、大きな伽藍(がらん)を構える寺院にしては意外に少ないと、多くの人が驚く。このうち私と同じ日に、共に清水寺で得度した僧侶が四人を占める。年齢順に紹介すると、森清顕(せいげん)、私、大西皓久(こうきゅう)、大西晶允(しょういん)である。

「清顕さんには西国観音信仰の流布にいつもご尽力頂いています」「皓久さんのお陰で、以前より風通しが良くなり、連携が取れるようになりました」「晶允さんにたくさんの励ましの心を頂き、元気になりました」等々、縁ある方々からのこうした声を聞くと、自分のこと以上にうれしく思う。

三人の同僚との絆は、私にとって全ての法務の根幹である。森清顕は学生時代より仏教教学、学術畑に進み、今日の山内教学の依りどころである。といっても、必ずしも彼は堅い印象ではなく、異業種交流やグリーフケア活動、学生への支援等を通して、老若男女との交流が広い。また、継承されてきた寺の伝統を護持する誠実さを大切に守っている。

大西皓久は裏表の無い性格に基づく等身大の自己表現により、山内職員、伽藍整備工事関係者や当山用達会からの信頼があつく、彼らを取りまとめ、日々の参拝環境の護持・発展のために尽力している。

大西晶允は中国語を上手に話して、当山が事務局をあずかる日中韓仏教友好交流会議にて活躍する。一方、和尚としての厳格な行の側面に力を入れて、茶道を研鑽(けんさん)し、山内寺宝等の保護にも活動の幅を広げている。

手前味噌(みそ)ながら、彼らはこれからの清水寺の宝であると思う。彼らと同じ時に仏縁を拝し、こうして共に観音信仰の流布に勤めることがかない、大変有り難く、また頼もしく感じる。そんな彼らと誠の絆を保つに当たって大切にしている姿勢が三つある。それは、大衆信仰の入口を担当する責務を担い、多くの参拝者を迎える当山に関わる全員にとっても重要なことである。

率直に言って、我々の性格はまさに四者四様でバラバラだ。同じ仏飯にて育てて頂いたにもかかわらず、ここまで見事に多様とは不思議なものだと、周りからもよく言われる。

現在では法務が多岐にわたることもあり、それぞれ寺において果たす役割の重点も違う。しかしだからこそ、我々の中で共有している共通項こそが、大きな指針であるべきと実感している。

というのも、本当に大切なものは、原則的に多方な条件にも視点にも、共通に重要と認識されるものであるからだ。これは諸宗教対話においても同様と考える。少々乱暴な表現かもしれないが、特定の宗教、教団には〇で、他には×であるならば、これは狭義的な真理ではないかと思う。そうではなく多様な宗教、教団間にとって、たとえ最初は△に見えたとしても、心を重ねていくことで皆にとって〇と認識されるものこそが◎、つまり世界に共通すべき広義な真理ではないかと考える。

例えば仏教においての利他、知足、慈悲、布施等は、その他諸宗教においても大切にされている教えであると、これまであまたの諸先生方からお導きを頂いているところである。

確かに互いの意見や思いが、必ずしも一致しないこともある。その時、決して誰かが自身の意見を強く通して、誰かが妥協するといったやりとりではなく、互いに、奥に存在する共通項、つまり大きな指針、真理を知る良き機会と自覚し、これまでの自らの私見に固執することなく、そして我執から離れるからこそ、やがてはより良い目的地へ共にたどり着くのだ。このことを教わったのは他ならぬ彼らの存在が大きい。

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