清水寺に伝わる「おもてなし」の心(7) 写真・文 大西英玄(北法相宗音羽山清水寺執事補)

門前会と共同で始めた仏事「青龍会」。観音の化身とされる青龍が境内と門前町を舞い、地域守護と除災が祈願される

清水寺門前会との絆

ある時、弟子の阿難尊者が「よき友を持つということは修行において半ばを成就したに等しいと思うのですが、いかがでしょうか」と、お釈迦様にお尋ねになった。すると、お釈迦様は以下のように答えられた。

「阿難よ、そうではない。よき友を持つということは修行の半ばではなく、その全てである」。有名な逸話であり、ご存じの方も多いだろう。お釈迦様の修行には遠く及ばず、こうして引用するのも恐縮ではあるが、日々、参拝者を迎えることをはじめ、さまざまな法務において、やはり同志との絆、そのチームワークが非常に大切だと考える。

清水寺の場合、同志やチームというと、まず挙げられるのは、清水寺門前会である。「坂」と呼ばれる清水坂の参道門前に軒を連ねる土産物の店主が中心になって結成し、三十余年、誇るべき確固たる絆を築いている。いろいろな背景があったが、当山との関係としては、平成4年より始まった夜間特別拝観の運営、北は北海道から南は沖縄まで、文字通り全国各地で数十回にも及んだ出開帳清水寺展への随喜、そして平成12年の御本尊御開帳事業に多大な協力にあずかった。ここでは特に御開帳について触れることとする。

当山では観音三十三身に則して、原則33年に一度、秘仏の御本尊御開帳を執り行う。平成12年に慶事を迎えるにあたり、一人でも多くの方に観音様との心の出会いという結縁(けちえん)がかなうようにとの誓願のもと、それまでと異なり山内だけでなく地域の人々と共に、同心合力にて勤める決意を共有したのである。結果、当時では前代未聞の9カ月にわたる長期間の中、有縁寺院、観音札所、各種団体、信者等多くの慶讃を仰ぎ、随求堂胎内巡り創設、観音桜記念植樹、計28名の諸賢による講演会、13回の奉納展覧会、21回の奉納行事など、さまざまな法楽、清興を繰り広げ、その中で寺と共に中心的役割を担ったのが門前会である。実はこの年、立正佼成会の酒井教雄元理事長先生はじめ、多くの諸先生方に奉讃法会を一座厳修頂いた。この場を借りて、改めて衷心より感謝申し上げる。

青龍会では、長さ約18メートルの青龍を先頭に、荘厳な装束に身にまとった門前会の会員らが各地を巡行する

僧職だけが集い、物事を検討すると、時に宗教的意義づけを護持する意識が強く働き過ぎてしまい、視野が狭くなることがある。それでは既存の信者層には届いたとしても、まだ馴染(なじ)みのない層にまで至らないことが多い。だからこそ、多様な感性を持つ門前会の意見や発想は、先に述べた「一人でも多くの方に観音様との心の出会いという結縁がかなうように」という大義において非常に大きな支えであったとともに、一連の共通体験は今日の寺と坂との絆の礎となった。

本御開帳において、門前会との共同によって「青龍会」という新たな仏事が発足した。京都には「四神相応」という東西南北それぞれを神が守護するという伝説がある。当山が位置する東の守護神は青龍であり、当山の音羽の滝に観音の化身である青龍が夜ごと飛来して水を飲むとの伝えが古くからある。これを縁起として、当時、当山の信徒総代であった西村公朝師の監修、ワダ・エミ氏の青龍・装束のデザイン奉納を頂き、寺と坂が一体となって青龍会という龍の行道が創始された。以来20年の節目を越え、現在でも総勢50名強の奉仕にあずかりながら続いている。本行事はそれぞれの当事者意識の向上と、これまで寺と坂との上意下達の関係性を脱却し、一蓮托生(いちれんたくしょう)となる大きな契機となった。

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