バチカンから見た世界(24) 文・宮平宏(本紙バチカン支局長)

揺れ動く湾岸情勢

2003年のイラク戦争後、米国のブッシュ大統領は、アラブ・イスラーム圏に米国流の民主主義を“輸出”しようとした。しかし、イラクでは、それまでのフセイン政権下で権力の座にあったイスラーム・スンニ派が、米国の支援によって発足した同シーア派を中心とする新政権から外され、スンニ派とシーア派との対立を一層あおる結果を招いた。

続きを読む

バチカンから見た世界(23) 文・宮平宏(本紙バチカン支局長)

対峙する二つの世界――トランプ大統領とカトリック教会

米上院の共和党は6月22日、オバマ前政権時に導入された医療保険制度改革(オバマケア)を見直す代替法案の草案を公表した。この前日、トランプ米大統領は、「なぜ政権の経済担当者に富豪を任命したのかと尋ねられた。その答えは、富豪の考え方が、われわれの望む思考方法だからだ」と発言していた。

続きを読む

利害を超えて現代と向き合う――宗教の役割(4) 文・小林正弥(千葉大学大学院教授)

宗教における対話の重要性(前編)

公共的な活動をする際に不可欠なのが、対話である。前回に書いたように、「共謀罪」法が危険な理由の一つは、話し合いをしただけで「共謀」とみなされてしまう危険性があるからだ。実際に参議院の審議では、環境保護や人権保護を標榜(ひょうぼう)している団体でも、それらを隠れ蓑(みの)にしている場合には処罰されうると、法務大臣が答弁した。宗教を掲げている団体も同じように対象となりうるわけだ。対話が大事な宗教団体にとって、これは由々しき問題だ。

続きを読む

バチカンから見た世界(21) 文・宮平宏(本紙バチカン支局長)

火星人がいたら、彼らに福音を説く――バチカン天文台

ガリレオ・ガリレイがコペルニクスの地動説を支持し、バチカンの宗教裁判所から「異端」の判決を受けたのは1633年のことだった。だが、彼に対する裁判の見直しを試みる動きは、1823年にローマ教皇ピオ七世によって開始され、1962年から65年まで開かれた第二バチカン公会議の最後の年に、教皇パウロ六世も裁判の見直しを要請する発言を行った。

続きを読む

「日中友好宗教者懇話会50周年記念式典」出席者が本会を訪問

5月30日、前日に日中友好宗教者懇話会50周年記念式典に出席した中国佛教協会と同懇話会の宗教者ら19人が立正佼成会本部(東京・杉並区)を訪れ、法輪閣で昼食を共にしながら庭野日鑛会長と懇談した。

続きを読む

『年齢に伴う心身の変化について』の講演会 本会鈴鹿教会の「普門の日」の集会で

社会で幅広く活躍する経済・文化人、教育者らを招き、講演を通して社会貢献の意識の向上を図る「普門の日」集会が5月10日、三重県の立正佼成会鈴鹿教会で行われた。162人を前に、鈴鹿中部地域包括支援センター(同市社会福祉協議会)に勤務する、看護師で介護支援専門員の長谷川友子氏が『年齢に伴う心身の変化について』をテーマに講演した。

続きを読む

日本国憲法施行70年 「平和主義」は有効なのか?(2) 伊勢﨑・東京外国語大学大学院教授に聞く

日本は戦後、「戦争放棄」を定めた憲法を有する平和国家としての道を歩んできた。一方、現在、国会では、改憲勢力が3分の2以上の議席を占め、衆参両議院で憲法審査会が始まるなど、「改正」への論議が高まりを見せている。5月3日には、安倍晋三首相が改憲への意思を改めて表明した。日本は今、大きな岐路に立つ。国際情勢を踏まえ、一人ひとりが考えることは何か――紛争の現場で武装解除や平和構築に取り組んできた東京外国語大学大学院の伊勢﨑賢治教授に話を聞いた。

続きを読む

気づきを楽しむ――タイの大地で深呼吸(3) 写真・文 浦崎雅代(翻訳家)

朝のタンブンライフ――「作って食べる」から「捧げて頂く」の暮らしへ

「さあ、今日もタンブンだ!」

私の朝食作りは、自分へのこの掛け声で始まる。私は今、ライトハウスという瞑想(めいそう)修行場の一角に家族で住んでいる。敷地内には、僧侶や在家修行者が滞在するという、ちょっと変わった生活だ。

続きを読む

『望めど、欲せず――ビジネスパーソンの心得帖』(2) 文・小倉広(経営コンサルタント)

「望めど、欲せず」とは「朝孔子、夜老子」

連載の第2回は、コーナータイトルである「望めど、欲せず」についてお話をしてみたいと思います。

続きを読む

バチカンから見た世界(10) 文・宮平宏(本紙バチカン支局長)

「諸宗教間に平和なくして世界平和はあり得ない」 イスラームの指導者が主導 

エジプト・カイロにあるイスラーム・スンニ派最高権威機関「アズハル」のアハメド・タイエブ総長はこのほど、宗教における暴力との関わりは、イスラームだけではなく、同じアブラハム信仰であるユダヤ教、キリスト教にもあるとし、「平和を説く者(諸宗教者)の間で平和が実現されないなら、他の個人に平和を伝えることはできない」と訴えた。宗教の名を使った暴力の問題を解決するためには、宗教の違いを超えた対話・協力の重要性を主張したのだ。

続きを読む