気づきを楽しむ――タイの大地で深呼吸(3) 写真・文 浦崎雅代(翻訳家)

朝のタンブンライフ――「作って食べる」から「捧げて頂く」の暮らしへ

「さあ、今日もタンブンだ!」

私の朝食作りは、自分へのこの掛け声で始まる。私は今、ライトハウスという瞑想(めいそう)修行場の一角に家族で住んでいる。敷地内には、僧侶や在家修行者が滞在するという、ちょっと変わった生活だ。

ライトハウスの朝は早い。4時半から読経を行い、僧侶は6時から1時間ほど村へ托鉢(たくはつ)に行き、7時半から皆で朝食を頂く。朝食時には、托鉢に応じて食を捧げた村人、ライトハウスのスタッフ、そして私、とそれぞれの作った料理が一堂に食卓に並ぶ。あらかじめ割り当てを細かく決めず、自分ができる分の料理を自ら持ち寄るのがここのスタイル。料理が集められた食卓は、まるでホテルのビュッフェのよう。おいしそうな香りに包まれた料理が朝日を受けてまぶしく光り、五感をやさしく開かせてくれる。

僧侶にお金を寄付したり、物や食事を捧げたりすることをタイ語で「タンブン」という。徳を積む、という意味だ。朝のタンブンといえば、主に食事を僧侶に捧げることを指す。実はタイの僧侶は、午前中しか食事が取れない。戒律で午後は固形物を食べることができないのだ。だから、朝食は最も大切な「一食入魂」の場でもある(ただし、正午前にもう一度食事をとってもOK)。

全員で食前の祈りを捧げた後、最初に僧侶たちが食べられる分だけ自分の鉢に取る。次に在家者が頂き、その次は犬や猫へ。それでも残ったら肥料となる。必要とする分だけを頂くと、次の生き物たちへゆるやかに運ばれていく。食が循環しているのを肌で感じながら、ひと噛みひと噛みをゆっくり味わう。

食事を「作って食べる」から、「捧げて頂く」暮らしへ。調理するという行為は同じでも「捧げる」というプロセスが加わるだけで意識が変わる。命のつながりの中にいる実感が湧き上がってくるから不思議だ。非効率にも思える「捧げる」という行為だが、そこには人と人、人と自然が共に生きるための智慧(ちえ)が詰まっている。他者の為のようであるが、実は自身の為にもなる。それも精神的なものに限らない。その証拠に、私は炊きたてのもち米(東北タイの主食)と、この他一品を捧げるのだけれど、頂く料理は10品を下らない。実に10倍の品数になって戻ってくるのだ! ありがたきことこの上ない。

今ある分を皆で分け合いながら頂くと、本当に体が必要とする食事の量は、頭で考えるほど多くはないことに気づく。体の栄養と心の栄養。それが同時に味わえるタンブンライフ。私の毎朝の楽しみだ。

さて、明日の一品は何にしようかな。

プロフィル

うらさき・まさよ 翻訳家。1972年、沖縄生まれ。東京工業大学大学院博士課程修了。大学在学中からタイ仏教や開発僧について研究し、その後タイのチュラロンコン大学に留学した。現在はタイ東北部ナコンラーチャシーマー県でタイ人の夫と息子の3人で生活している。note(https://note.mu/urasakimasayo)にて毎朝タイ仏教の説法を翻訳し発信している。