バチカンから見た世界(10) 文・宮平宏(本紙バチカン支局長)

「諸宗教間に平和なくして世界平和はあり得ない」 イスラームの指導者が主導 

エジプト・カイロにあるイスラーム・スンニ派最高権威機関「アズハル」のアハメド・タイエブ総長はこのほど、宗教における暴力との関わりは、イスラームだけではなく、同じアブラハム信仰であるユダヤ教、キリスト教にもあるとし、「平和を説く者(諸宗教者)の間で平和が実現されないなら、他の個人に平和を伝えることはできない」と訴えた。宗教の名を使った暴力の問題を解決するためには、宗教の違いを超えた対話・協力の重要性を主張したのだ。

この発言は、2月28日と3月1日の両日に、アズハルで開催された『自由と市民の権利――多様性と相互補完』と題する国際会議の席上でのこと。昨年7月下旬、ローマ教皇フランシスコもポーランドからバチカンに戻る機上でのインタビューで、「イスラームによる暴力について話すなら、カトリックによる暴力についても話さなければならない。ほとんどの宗教は、それぞれ内に偏狭な原理主義グループが存在している。カトリックも、その例外ではない」と述べていた。

本連載の前回、国民を主流派や少数派に区別するのではなく、あらゆる宗教の信徒が「同じ一つの市民」として同等の権利を有しながら、平和な国家の構築に向けて協力するよう呼びかけたアズハルの姿を報告した。これにより、イスラーム・アラブ世界で、画期的な思想変革がなされるのではないかと欧州では受けとめられている。宗教の多様性を認め、信教の自由を保障し、平等な権利を有する全ての国民の主権によって政治が行われることを期待するもので、イスラーム・アラブ世界の内部から生まれた「民主主義」の潮流との見方が強い。

2003年に起きたイラク戦争の後に、ブッシュ米大統領や米国の新保守主義(ネオコン)は、アラブ圏に米国流の民主主義を押しつけようとし、失敗に終わった。今回はアラブ内側から、特に宗教者から生まれてきたことに特長がある。アズハルでの国際会議に参加したレバノンのマロン典礼総大司教のベシャラ・ライ枢機卿は、「われわれの辞書から“少数派”という言葉が消え、“市民権”に置き換えられる」と語った。また、国際会議の成果に触れ、「ムスリム(イスラーム教徒)とキリスト教徒が、一緒に形成してきたアラブ世界、アラブ文化を救う道になった」との見解を表明。「国の中で、これまで以上に連帯を図ることができ、これにより宗教の名を使った狂信主義や犯罪に対処していくことができる」と述べた。

レバノン・ベイルートにある聖ヨゼフ大学(カトリック)のクールバン教授は、今回の国際会議を「イスラーム思想の変革の重要な一里塚になった」と評した。同国の憲法評議会のメッサーラ教授は、「妥協も敵対することもなく、新しい表現方法によって生まれた例外的な出来事」と会議の成果を論評し、「“少数派”や“イスラーム国家”といった用語が無くなった」とし、互いを尊重していく姿勢が生まれたことに大きな意味を見いだした。なお、この会議には、今年2月に発表された「第34回庭野平和賞」受賞者である、ルーテル世界連盟議長でヨルダン及び聖地福音ルーテル教会監督のムニブ・A・ユナン師も参加していた。

本稿をつづっていた時、バチカン報道官から記者室に声明文が送られてきた。そこには、こう記されてあった。「エジプト大統領、エジプト・カトリック教会の司教たち、コプト正教会アレクサンドリア教皇タワドロス二世、アズハルのタイエブ総長からの招待を受け、教皇フランシスコは4月28日と29日、エジプト・カイロを訪問する」と。