バチカンから見た世界(24) 文・宮平宏(本紙バチカン支局長)

揺れ動く湾岸情勢

2003年のイラク戦争後、米国のブッシュ大統領は、アラブ・イスラーム圏に米国流の民主主義を“輸出”しようとした。しかし、イラクでは、それまでのフセイン政権下で権力の座にあったイスラーム・スンニ派が、米国の支援によって発足した同シーア派を中心とする新政権から外され、スンニ派とシーア派との対立を一層あおる結果を招いた。

欧米は、アラブのイスラーム諸国が、段階的ながらも欧米のような法体系を有する国家になり、表現や信教、報道の自由を認め、民主選挙への道を歩んでいくことを夢見た。だが、2011年から始まる「アラブの春」を経て中東は混沌(こんとん)状態に陥る。2013年、シリアは内戦に突入。エジプトの総選挙で大勝したムスリム同胞団のムルシ政権も軍部のクーデターによって崩壊した。

欧米が支持するアラブ・イスラーム圏の民主化は、多くの国で政権の座にあったスンニ派にとっては「挑発」と映り、同時にシーア派に対する「支援」として受け取られ、結果としてスンニ派の反西洋感情を高めた。こうした背景も重なって、スンニ派の「反西洋」「反シーア派」の感情は、怨念にも近いともいわれる。ここから、過激派組織が、特に、「イスラーム国」(IS)を名乗る組織が、スンニ派の偏狭で原理主義的傾向にある人々からの支援を受けて誕生したと分析されている。

今年5月のトランプ米大統領のサウジアラビア訪問を報じるイタリア有力紙「コリエレ・デラ・セラ」は5月23日、ブッシュ大統領とオバマ大統領によって継続されてきたアラブ・イスラーム圏の「民主化」への努力について言及。首都リヤドでのトランプ大統領の「民主主義の輸出を据え置く」スピーチによって、それは「終焉(しゅうえん)を遂げた」と報じた。

また、席上、トランプ大統領は、参集したスンニ派の50カ国以上の指導者を前に、ISを壊滅するためサウジアラビア主導のスンニ派の結束と、イラク、シリア、イエメンで敵対勢力を支援するイラン(シーア派)との対決を訴えた。このスピーチの後、湾岸情勢は急展開する。

サウジアラビア、エジプト、アラブ首長国連邦(UAE)、バーレーンの4カ国は6月5日、カタールと国交を断絶すると発表。カタールを封じ込める政策を開始した。カタールとの断交の理由に、同国にある衛星テレビ局「アルジャジーラ」の報道が、イランとつながりのあるテロ組織や、エジプトのムスリム同胞団を支援する一方、サウジアラビア王室を批判していることなどが挙げられた。

これに対し、イランは即刻、カタールへの連帯と支援を表明。さらに、スンニ派のトルコがカタールへの支援を発表したことによって、スンニ派の内部で意見が統一されているわけではないことが鮮明になり、「分裂状態」を招く結果となった。

6月7日、イランの首都テヘランにある国会議事堂で銃撃があり、テヘラン郊外にあるイラン革命の指導者ホメイニ師を祀る霊廟(れいびょう)でも自爆攻撃があった。同国内でのテロ攻撃に関して、初めてスンニ派のISが犯行声明を出した。さらに、サウジアラビアのイスラームの聖地マッカ(メッカ)で23日、治安部隊に包囲された男が自爆し、その犯人が隠れていた建物では銃撃事件が起きた。同内務省は、聖モスクと巡礼者を標的にするテロ攻撃を阻止したことを明らかにした。サウジアラビアは2014年以来、ISによるテロ攻撃の標的となってきた。イラクやシリアで敗退するISが、スンニ派とシーア派間での対立をあおることによって湾岸地域に混乱をもたらし、自分たちの「恐怖の新天地」を建立しようと試みているとされる。

欧米の「民主主義」や列強国の政策(ドクトリン)を押し付けることは功を奏さず、さらに、分裂あるところにISが恐怖の触手を伸ばしてくることは、現代史からの教訓であったはずなのだが……。