忘れられた日本人
忘れられた日本人――フィリピン残留日本人二世(12)最終回 写真・文 猪俣典弘
戦争が破壊して奪ったものを回復させることは人間の使命
苦難を歩んできた残留二世たちの生き方が問いかけるもの
一年間、苦難の戦後を生きてきた「忘れられた日本人」であるフィリピン残留日本人二世たちの声に耳を傾け、思いを馳(は)せて頂きありがとうございました。
忘れられた日本人――フィリピン残留日本人二世(11) 写真・文 猪俣典弘
戦後78年。命の尊さ、平和の大切さを伝えていく使命
防衛費の倍増が招く事態を憂慮
昨今、日本は防衛力の強化を加速させています。政府は昨年、2027年までに防衛費をGDP(国内総生産)の約2%、5年間で総額43兆円ほどにすることを決定。これは、年間軍事費を約10兆円に押し上げ、米国、中国に次ぐ世界第3位の規模です。岸田文雄首相は、毎年4兆円(300億ドル)の追加予算が必要と述べ、その25%を賄うために増税を提案しました。
忘れられた日本人――フィリピン残留日本人二世(10) 写真・文 猪俣典弘
国際機関、政府、NPOが連携――「誰一人取り残さない」救済の実現を
2021年4月、国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)駐フィリピン事務所が残留日本人二世(残留二世)に関する報告書を作成しました。この中で、フィリピンに残留した日本人を「無国籍のリスクにある人々」と認め、国家が緊急に解決するべき人道問題として、日本とフィリピンの二国間協議での解決を提言。一年をかけて両国の法律に照らし、残留二世の法的な立場や問題点を整理した報告書の発表は、彼らの存在を国際社会に広く知らせるものになりました。
忘れられた日本人――フィリピン残留日本人二世(9) 写真・文 猪俣典弘
離別した家族に会いたい――終わらない戦後
「親族捜し」はフィリピン残留日本人二世たちに共通する願い
戦争によって家族が二つの祖国に引き裂かれ、親やきょうだいと死別や生き別れになったフィリピン残留日本人二世たち。その数は、戦中の幼少時死亡者を含めると4000人を超えます(フィリピン日系人リーガルサポートセンター=PNLSC=調査)。
忘れられた日本人――フィリピン残留日本人二世(7) 写真・文 猪俣典弘
希望の灯火
地域を支える日系人組織を目指して
前回の連載で書きましたが、フィリピン・パラワン島の残留日本人二世は77年を経て再結集し、2022年にパラワン日系人会を創立しました。侵略者の末裔(まつえい)として烙印(らくいん)を押され、長い沈黙を強いられた後、再び日系人としてのアイデンティティーを掲げて集まったのは、負の歴史を塗り替え、新しい時代を切り開きたいという切実な願いがあったからこそ。そのためには、地域に貢献できる日系人組織として活動したい――そうした強い意志を感じさせるスタートでした。
忘れられた日本人――フィリピン残留日本人二世(6) 写真・文 猪俣典弘
「世界で最も美しい島」パラワンに残留した日本人の末裔たち
パラワン島に刻まれた虐殺の歴史
世界で最も美しい島と評されるフィリピンのパラワン島。南北400キロにわたる細長いこの島は、大自然が手つかずの姿で残ることから“フィリピン最後の秘境”と称され、世界中から観光客が訪れます。しかし、この美しい島には悲しい虐殺の歴史があり、戦後長らく多くの残留日本人二世たちが無国籍のまま取り残されていたことは、近年までほとんど明かされませんでした。
忘れられた日本人――フィリピン残留日本人二世(5) 写真・文 猪俣典弘
「助けて」と言える社会は、「つながる力」のある社会
国民の約90%がキリスト教徒であるフィリピン
フィリピンでは国民の約9割がキリスト教徒のため、クリスマスを喜びに満ちた特別な日と受けとめます。イエス・キリストという大いなるプレゼントが世界にもたらされたことをみんなで祝い、喜びを分かち合う――この「分かち合い」の精神こそが、フィリピン社会の底力となっているのです。
忘れられた日本人――フィリピン残留日本人二世(4) 写真・文 猪俣典弘
「一食を捧げる運動」に育てられた奨学生が支援の担い手に
戦争の憎しみを乗り越え、懺悔と慰霊が築いてきた対話と交流
立正佼成会の会員がフィリピンを訪問したのは、1973年のことでした。「第1回青年の船」が就航し、約500人の青年部員が渡航先の一つであるフィリピンの地に降り立ったのです。当時はまだ、フィリピン各地に戦争の傷痕が生々しく残っていました。日本軍によって多くの同胞を殺され、社会を破壊され、尊厳を踏みにじられたフィリピンの人々の怒りと哀しみに直面した青年たちは言葉を失ったそうです。そこから、立正佼成会の青年による「慰霊と懺悔(さんげ)」の取り組みが始まりました。
忘れられた日本人――フィリピン残留日本人二世(3) 写真・文 猪俣典弘
フィリピン残留日本人二世の肖像
日本人として生まれるも、戦中戦後の混乱により無国籍状態に
戦後77年目を迎えた今も、フィリピンでは残留日本人二世の聞き取り調査が続いています。戦中に日本人の父親と離別、死別して現地に留(とど)まった子どもたちは、今や平均年齢83歳。いまだに国籍回復を実現できていない人たちは、出生証明書などの書類や父親との写真がほぼ消失しており、当時の公的な記録が残っていない人たちばかりです。