利害を超えて現代と向き合う

利害を超えて現代と向き合う――宗教の役割(25) 文・小林正弥(千葉大学大学院教授)

世紀転換期としての平成

前回(第24回)に書いたように、平成という時代は、「平和に成る」という願いが込められた年号であったにもかかわらず、実際には紛争や戦争が起こり、混迷の時代となって終わりつつある。それはなぜだろうか。

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利害を超えて現代と向き合う――宗教の役割(24) 文・小林正弥(千葉大学大学院教授)

平和への願いが込められた年号

昨年末に、幕末・明治の時代を考えた。大正、昭和を経て、今は平成である。今上天皇が今年の4月30日で退位される予定なので、平成時代は1989年1月8日に始まって、20世紀末から21世紀初頭にわたり、30年113日間で終了することになる。この時代はどのようなものだっただろうか。

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利害を超えて現代と向き合う――宗教の役割(23) 文・小林正弥(千葉大学大学院教授)

一年の計

一年の計は元旦にあり、というから、新春にそれを考えた人も多いだろう。昨年は4回にわたって明治維新について考えてきたので、その歴史を振り返りつつ今後の日本を考えてみよう。

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利害を超えて現代と向き合う――宗教の役割(22) 文・小林正弥(千葉大学大学院教授)

明治からの公共的政治の系譜

前回に述べたように、公議・公論・公道という公共的政治の理念は、幕末に生まれて「五箇条の御誓文」にも現れ、明治憲法下における議会政治として限定的ながら実現した。専制政府との抗争を経て政党が台頭し、1924-32年には、衆議院の多数党が内閣を組織する「憲政の常道」として、立憲政友会と立憲民政党との二大政党による政権交代が行われるようになったのだ。

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利害を超えて現代と向き合う――宗教の役割(21) 文・小林正弥(千葉大学大学院教授)

明治維新における公共的政治の理念

宗教政策に関しては明治国家の失敗から学ばなければならないとすれば、政治体制についてはどうだろうか。左翼的な歴史観では、「戦前の政治は結局、軍国主義化と戦争に帰結する」から、主として批判の対象となるが、少なくとも志士たちには今でも学ぶべきところがある。

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利害を超えて現代と向き合う――宗教の役割(20) 文・小林正弥(千葉大学大学院教授)

「尊皇」の志は今に生かせるか?

明治維新で活躍する幕末の志士たちは、日本が植民地化される危険を察知して、専制的な幕府を打倒することを決意した。幕府に抑圧されていた天皇を尊崇し、その旗印のもとで新しい政治体制を作って国家の独立を守ろうとしたのである。当初は『尊皇攘夷』がスローガンとなっていたが、武力では西洋諸国にかなわないと分かり、「攘夷」をやめて「倒幕」へと目標を転換した。天皇に忠誠を尽くして勤めるという意味で、「勤皇」という言葉が用いられた。

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利害を超えて現代と向き合う――宗教の役割(19) 文・小林正弥(千葉大学大学院教授)

明治維新をどう見てどう活かすか

「ちょうど今晩のNHK大河ドラマ『西郷どん』(のテーマ)は『薩長同盟』だ。しっかり薩長で力を合わせ、新たな時代を切り開いていきたい」

安倍首相は鹿児島でこう述べて、自民党総裁選の出馬表明を行った(8月26日)。総裁選のために首相に協力した議員の選挙区・鹿児島と自らの出身地・山口との「薩長」の絆を演出したという。

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利害を超えて現代と向き合う――宗教の役割(18) 文・小林正弥(千葉大学大学院教授)

アフリカ白熱教室の熱気

5月19日に上智大学で行われた「アフリカの新たなビジョン 東京国際会議」では一日中、興奮の渦が巻き起こっていた。会場はほぼ満員で、アフリカ諸国やイタリアの駐日大使および政治家、アフリカ連合関係者、日本の政治家、JICA(国際協力機構)理事、NGOなど多様な関係者が発言され、共催者である聖エジディオ共同体、上智大学、立正佼成会の方々と共に、アフリカとイタリア・日本との間で未来のための熱気ある対話が繰り広げられたのである。

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利害を超えて現代と向き合う――宗教の役割(17) 文・小林正弥(千葉大学大学院教授)

米朝首脳会談の歴史的意義

歴史的な米朝会談が6月12日にシンガポールで行われ、両首脳は北朝鮮の体制保証と、その完全な非核化について約束をする合意文書に署名した。この会談は、一度延期が報じられたように途中で大きな曲折があったから、この結果は大いに慶賀すべきことだ。世界史に残るような感動的な出来事である。

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利害を超えて現代と向き合う――宗教の役割(16) 文・小林正弥(千葉大学大学院教授)

嘘つきは泥棒の始まり

「嘘(うそ)つきは泥棒の始まり」ということわざがある。平気で嘘をつくような人は、盗みも悪いことだと思わなくなってしまうという意味だ。今ほどそれを思わせる政治的局面は少ないだろう。

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