利害を超えて現代と向き合う――宗教の役割(16) 文・小林正弥(千葉大学大学院教授)

画・国井 節

嘘つきは泥棒の始まり

「嘘(うそ)つきは泥棒の始まり」ということわざがある。平気で嘘をつくような人は、盗みも悪いことだと思わなくなってしまうという意味だ。今ほどそれを思わせる政治的局面は少ないだろう。

森友学園の国有地取引をめぐる決裁文書が改竄(かいざん)されたことが分かり、財務省が調査結果を発表した。行政が国会で公的に嘘をついたことが確定したわけだ。ところがその責任者である財務大臣や首相は辞任せず、改竄を指示して虚偽答弁を行った元官僚に対しても軽い処分だけで済まそうとしている。野党が批判して内閣総辞職を要求するのは当然だ。

第14回に書いたとおり、「嘘をついてはいけない」というのは、仏教も含め世界の大宗教における基本的な宗教的倫理だ。それだけではなく、道徳の基本中の基本でもある。「正直であれ」という道徳を子供の頃に聞いたことがない人はほとんどいないはずだ。同時に「悪いことをしたら反省して謝りなさい」とも教えられただろう。

政府は嘘をついた上に、責任を正面から取らずに済まそうとしているから、こういった訓戒に正面から反していると言える。安倍首相は、自分や妻が森友学園の問題に関係していたら総理大臣も国会議員も辞めると国会で断言していたのに、その証拠が省庁から出てきたら、収賄をして関わっていたら辞めるという意味だったと言い換えて平然としている。

こういった態度は、居直りとか誤魔化しとか恥知らずと言わざるを得ない。首相が収賄をしていなくとも、もしその夫婦の関与により行政が国有地をただ同然で不当に払い下げたのなら、国民から見れば自分たちの財産がいつのまにか盗まれてなくなってしまっていたようなものである。それなのに、行政が嘘をついただけではなく、真剣な反省や謝罪をせず、本格的な責任も取らないのでは、先のことわざの通り、「泥棒の始まり」に見えてきてしまう。「盗人猛々しい」(悪事を働きながら平然としている)ということわざを連想する人もいるだろう。

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