「時代」の声を伝えて――文学がとらえた80年(25)最終回 文・黒古一夫(文芸評論家)

画・吉永 昌生

「時代」の空気を著作から読み取ることの意義

このいかにも「残念な」光景を思い出すと、今や大方の「文学」は、「いかに生きるべきか」といった思想・哲学の最前線の課題を担う責務を放棄し、コミックやミステリーなどと同じように「娯楽性」だけを追い求めているのではないか、との思いを強くする。言葉を換えれば、文学の「本質(的役割)」と言っていい「炭鉱のカナリア理論」――アメリカの現代作家カート・ヴォネガットは、炭鉱夫が坑内のガス爆発を警戒して、ガス漏れに敏感なカナリア(小鳥)を持って入坑したことを例に、芸術家(文学者)は社会の反人間的動向に対して敏感に反応すべきである、と主張した――を現代作家たちの多くが忘れ去ってしまっているのではないか、ということである。つまり、作家の批判(批評)精神が劣化してしまい、「戦争」の色が前面に躍り出ているような現在の社会(政治)に対して、有効に「反撃」=批判しているような作品が極端に少なくなっているのではないか、ということである。あるいは、現在と未来が「希望」の持てる社会であることを現代文学は提示し切れていない、と思うのである。

今度の連載で紹介した文学作品の中から、戦後73年間の24作品を読み直し考察したが、そこで実感したことは、まさに「現代文学の危機」とも言うべきものであった。文学に必要な批判(批評)精神の劣化は、もちろん今に始まったことではないが、このような文学状況を放置し続けてしまった現代文学に関わる私も含めた全ての人々に、「責任」の一端はあるのではないか、と改めて思わざるを得なかった。

作品を読んで得た視点から、世界や社会、また人の営みや自らが置かれている状況をとらえ直してみると、目にしてきた光景がそれまでとは全く違って見える――そうした文学作品を読む「楽しさ」「充実感」を、ぜひともよみがえらせたい、と強く思う。

プロフィル

くろこ・かずお 1945年、群馬県生まれ。法政大学大学院文学研究科博士課程修了後、筑波大学大学院教授を務める。現在、筑波大学名誉教授で、文芸作品の解説、論考、エッセー、書評の執筆を続ける。著書に『北村透谷論――天空への渇望』(冬樹社)、『原爆とことば――原民喜から林京子まで』(三一書房)、『作家はこのようにして生まれ、大きくなった――大江健三郎伝説』(河出書房新社)、『魂の救済を求めて――文学と宗教との共振』(佼成出版社)など多数。近著に『原発文学史・論――絶望的な「核(原発)」状況に抗して』がある。