「時代」の声を伝えて――文学がとらえた80年(25)最終回 文・黒古一夫(文芸評論家)

異国での「日本文学」観に触れて

昨年10月、私は中国の北京と武漢(湖北省)の大学に招かれ、『日本の戦争文学』や『揚子江と日本文学』というタイトルで講演を行った。これらの内容は中国側からの要請に基づくものだったのだが、その理由は、1937年7月7日に勃発した日中戦争からアジア太平洋戦争にかけて、さまざまな「戦争文学」が書かれたからである。特に揚子江の河口にある都市・上海から、南京攻略戦(南京大虐殺事件が起こった)を経て、漢口(武漢)攻略戦へと激しさを増した日中戦争において、日本の文学者(作家や詩人、評論家)が「ペン部隊」――軍部の要請による文学者の従軍――を結成するなど深く関わり、多くの作品を書き残して来た文学史的事実について知りたいから、というものであった。

講演で私が挙げた作品は、戦後派作家である武田泰淳の上海を舞台にした『蝮のすゑ』(1948年)や林京子の『ミッシェルの口紅』(78年)、南京事件を描いた石川達三の『生きてゐる兵隊』(掲載誌「中央公論」1938年3月号は発禁処分となり、刊行は戦後の46年)、堀田善衞の『時間』(55年)、漢口(武漢)攻略戦を描いた石川達三の『武漢作戦』(38年)、林芙美子の『戦線』(38年)と『北岸部隊』(39年)などだ。これらの作品のいくつかをすでに原文(日本語)や中国語訳で読んでいる日本語科の学生や教師に向けて、「時代(社会)と文学作品との関係」を軸に私は話をした。ここでも私は、文学作品がその深部で時代状況の影響を受けていることを改めて感じるとともに、読者にさまざまな「思い」をもたらすことを確認することができた。

さらに付け加えると、2012年秋から始まった特別招聘(しょうへい)教授としての華中師範大学(武漢)大学院日本語科での講義や、その後の北京外国語大学日本語科での集中講義、山東省や南京の大学における講演などの経験からすると、最近の中国における日本文学研究は確実に「進展」してきているという印象を私は持っている。と言うのも、翻訳される作品の傾向と一にしているのだが、夏目漱石、芥川龍之介、川端康成、谷崎潤一郎といった、従来からの「定番」作家の研究から、武田泰淳、堀田善衞、野間宏などの戦後派作家、あるいは遠藤周作や大庭みな子などの第三の新人・内向の世代作家、さらには多和田葉子や江國香織などの現代女性作家・フェミニズム文学の研究などにシフトしているからである。中国の街中のどの書店でも、外国文学のコーナーで「日本文学」の棚が一番広いスペースを占めているが、この事実が何よりも中国の日本文学研究が様変わりしてきている証(あかし)になっていると言える。

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