「時代」の声を伝えて――文学がとらえた80年(18) 番外編2 文・黒古一夫(文芸評論家)

画・吉永 昌生

「レベル7」の事故が日本でも……

チェルノブイリ原発の大事故と同じ「レベル7」の大事故が2011年3月11日、東京電力福島第一原子力発電所で起こった。その日に東日本の太平洋沿岸を襲った大地震と大津波が原因であったといわれているが、福島第一原発の1号機から3号機までの原子炉で炉心溶融(メルトダウン・メルトスルー)が起こり、原発周辺のみならず遠く離れた埼玉県や千葉県、東京都にまで、セシウム137やヨウ素131などの放射性物質が大量にまき散らされた。文部科学省や各地方自治体の調査によれば、この事故で大気中に放出された放射性物質は、香川県や兵庫県でも観測されている。その総量は、チェルノブイリ原発事故の5倍近くであったという指摘もなされている。

そんなフクシマの過酷な事故に対して、日本の文学者たちは敏感に反応した。事故の翌年、講談社が谷川俊太郎や小川洋子、川上弘美、村上龍など17名の作家や詩人を動員して『それでも三月は、また』(2012年)を刊行し、また日本ペンクラブ(当時の会長は浅田次郎)が52名の会員の文章を集めて『いまこそ私は原発に反対します。』(2012年)を緊急出版した。これらは、文学者が「炭鉱のカナリア」として警鐘を鳴らそうとしたのだ。

炭鉱のカナリアとは、昔、炭坑で働く人々が入坑の際、安全対策のために毒ガスの発生に敏感なカナリアを持参したことを指す。これを踏まえ、アメリカの作家であるカート・ヴォネガットが「文学者は社会に対して『炭鉱のカナリア』と同じような役割を持っているのではないか」と提言したのだが、日本人の作家たちの反応は、同じような敏感さを持っていると証明するものであった。

その後も、大江健三郎をはじめ多和田葉子、故津島佑子、玄侑宗久、池澤夏樹、高橋源一郎、古川日出男、黒川創、真山仁といった作家たちが続々と原発やフクシマに関わる作品を発表してきた。中でも、桐野夏生の『バラカ』(2016年)は、フクシマとユートピア(ディストピア=暗黒郷)の関係を考える時、さまざまな問題を私たちに投げ掛けてくる作品である。

物語は、中東のドバイから始まる。友人の優子とドバイに「養子」となる子供を探しに来た42歳で出版社勤務の沙羅は、「神の恩寵(おんちょう)」という意味の「バラカ」と名付けられた少女と出会い、日本に連れ帰る。そんな時、沙羅は、学生時代の恋人である川島と再会し、バラカと共に3人で新たな「家族」をつくるべく仙台に赴くのだが、そこで「3・11東日本大震災・フクシマ」に遭遇、沙羅は津波にさらわれ、命を落とす。

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