「時代」の声を伝えて――文学がとらえた80年(3) 文・黒古一夫(文芸評論家)

画・吉永 昌生

石川達三の『生きてゐる兵隊』刊行

そんな「戦後日本」の進むべき方向をいち早く示したのが、石川達三の中編小説『生きてゐる兵隊』の刊行(1945・昭和20年12月20日)である。この400字詰め原稿用紙で330枚の小説は、実は日中戦争が始まった1937(昭和12)年の翌年、当時もっとも発行部数の多かった雑誌の「中央公論」3月号に発表されたものだった。しかし、日中戦争の初期に起こった「南京事件(南京攻略戦)」に参加した将兵に取材して書かれたこの小説は、発表直後に「反軍的内容を持った時局柄不穏当な小説」という理由で、雑誌は発売禁止、作家と編集者が検挙されるという「筆禍(ひっか)事件」を引き起こし、戦争が終わるまで国民は読むことができなかった。

なぜこの中編小説が「反軍的」「時局柄不穏当」と判断され、発売禁止になったのか。それは、南京攻略戦における日本軍の蛮行(「焼き・殺し・奪う」という「三光作戦」)が、リアリズムを信条とする新進作家石川達三によって具体的に描き出され、戦勝に酔っていた国民の「熱狂」に冷水を浴びせるような内容を満載していたからであった。

捕虜にした中国兵の首を日本刀で切り落とし、食料調達(徴発)のために押し入った村で、隠れていた中国娘を強姦した後に殺害し、投降してきた兵士たちを収容する場所がないという理由で日本刀や銃で殺害するなど、さまざまな日本軍の「蛮行」が、「これが戦争(戦場)の真実だ」とばかりにこの小説の全編にわたって描かれていたのである。

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