「時代」の声を伝えて――文学がとらえた80年(3) 文・黒古一夫(文芸評論家)

画・吉永 昌生

被害と加害の複眼的認識から始まった戦後

アジア太平洋戦争において、日本軍は「欧米帝国主義列強からのアジアの解放」や「大東亜共栄圏の建設」をスローガンに、中国大陸やアジア・太平洋の各地を戦場として戦争を繰り広げてきた。しかし、南京攻略戦における日本(軍)の蛮行を暴露した『生きてゐる兵隊』は、日本軍が総体として「侵略軍」であり、「加害者」であったという「戦争の真実」を明らかにしたのである。それ故、この作品を載せた雑誌「中央公論」は発禁処分を受けたのである。

そんな戦時下において発禁処分を受けた『生きてゐる兵隊』が、戦後すぐに単行本として刊行され、多くの読者に受け入れられたのも、戦後の日本人が、敗北で終わった先のアジア太平洋戦争は「侵略戦争」であり、中国大陸や朝鮮半島、アジア諸国に対して「加害者」であるという自覚(認識)を持つようになっていたからにほかならなかった。

言い方を換えれば、戦後の日本は、アジア太平洋戦争の末期における住民を巻き込み16万人以上の犠牲者を出した沖縄戦、10万人以上の市民が犠牲となった1945年3月10日の東京大空襲、そして同年8月6日・9日の合わせて20万人以上の犠牲者とそれを上回る数の被爆者を生み出したヒロシマ・ナガサキの惨劇が象徴する「被害者」の側面と共に、明治以来の日本が中国大陸、朝鮮半島、アジア諸国に対して「加害者」であったという認識を共有するところから始まったということである。

このアジア太平洋戦争時における「被害」と「加害」の複眼的認識から始まった「戦後日本」が、72年後の今日どのように「変貌」したか――私たちはもう一度、先の戦争直後に感じた「原点」に戻って考える必要があるのではないだろうか。

プロフィル

くろこ・かずお 1945年、群馬県生まれ。法政大学大学院文学研究科博士課程修了後、筑波大学大学院教授を務める。現在、筑波大学名誉教授で、文芸作品の解説、論考、エッセー、書評の執筆を続ける。著書に『北村透谷論――天空への渇望』(冬樹社)、『原爆とことば――原民喜から林京子まで』(三一書房)、『作家はこのようにして生まれ、大きくなった――大江健三郎伝説』(河出書房新社)、『魂の救済を求めて――文学と宗教との共振』(佼成出版社)など多数。