『心の悠遠――現代社会と瞑想』(7) 写真・文 松原正樹(臨済宗妙心寺派佛母寺住職)

異文化相互理解のプログラムの一環として行われた生け花。学生たちは、見本をまねすることなく、各自のアプローチで創作を楽しんだ。そこに表現される違いにこそ、多様性を肯定し、相互を認め合うというメッセージが込められている(写真=筆者提供)

米国学生の心を打つ禅

5月17日から30日までの14日間、米国ジョージア州立大学の学生10人を率いて、神奈川県の鎌倉にある円覚寺などの4カ寺と千葉県の富津にある自坊・佛母寺で、異文化相互理解を促進するプロジェクトを行った。

学生たちの専攻はさまざまで、美術史や心理学、脳科学、栄養学、教育学、コンピューターサイエンス、文化人類学、歴史、科学と、とても幅が広い。逆に、彼らに共通していることは、ヨガとマインドフルネス瞑想(めいそう)を実践しているということだ。今回の目的は、そのマインドフルネス瞑想の源流としての禅を学ぶことだった。

現在の主要な「マインドフルネス」ムーブメントは、瞑想がいかにビジネスで生かせるかにあり、その中で、瞑想がどれほど集中力、共感力、チームワーク、生産性を養い、個人の業績を上げるかが注目されている。もちろん、個々人の成功や能力の向上は大切である。しかし、禅が根本的に求めているものは、「仏性」という自分の内側にある澄み切った鏡のような清浄心が誰にでもプログラムされていると信じ、それを基に共存、共生、敬い、平和の心を養うことであり、それを目的として、坐禅をするのである。今回、ジョージア州立大学の学生たちは、この「心」を日本に学びに来た。

この禅研修で、学生たちの心を打ったものが五つあった。一つは「足(た)るを知る」ということ。禅寺の食事はシンプルである。朝は粥座(しゅくざ)といって、お粥(かゆ)に梅干し、数種の漬物(たくあん、ぬか漬け、ごま塩、昆布のつくだ煮、ふきのつくだ煮など日によって変わる)。昼食は斎座(さいざ)という、ご飯と一汁一菜が定番だ。だが、学生たちはお客さんでもあるので、ネギ、ミョウガ、ごま、のり、大根おろし、青じそといった薬味をたくさん入れたうどんにした。

夜は一例として、ご飯と汁に、ほうれん草のおひたし、大根の田楽、冷ややっこ、厚揚げの煮物、大根と揚げの煮物などを作った。十分なごちそうではあるが、学生たちにしてみれば、非常にシンプルで、「これだけ?」と思う料理である。だが、一口一口ゆっくりと味わい、料理を作ってくれた人や食材を作ってくれた人、食事を口にできることへの感謝を抱きながら頂くことにより、いかに普段、食事を注視せず、ただ単に食事を流し込み、無意味に多量の食事を取っていたかを体で理解した。足りないくらいの少量のシンプルな食事でも、十分、おなかがいっぱいになることを体験したのだった。

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