心の悠遠――現代社会と瞑想(11) 写真・文 松原正樹(臨済宗妙心寺派佛母寺住職)

サンフランシスコ禅センターでワークショップを行う松原師。現代社会が直面する諸問題に対し、白隠禅師の遺産から学ぶことが多いと語る(Photo: Florian Brody)

アメリカでの白隠禅

2016年11月19日と2018年10月20日に、アメリカ禅文化のメッカの一つであるサンフランシスコ禅センターで、講義と坐禅のワークショップをさせて頂いた。1962年に日本人の曹洞宗僧侶・鈴木俊隆師によって設立されて以来、サンフランシスコ禅センターは心の問題と向き合う人たちを受け入れてきた場所である。

特筆すべきは、鈴木師の教えはベトナム戦争やオイルショック、時代の変遷の中での政治、経済不振、民族問題や人種問題を背景に平和活動を求める、多くの若者や知識階級を魅了したことだ。

サンフランシスコ禅センターの関連研修所として、有機農園が隣接する禅センター「グリーン・ガルチ」と長期リトリート(上級者向け)用のタサハラ禅マウンテンセンターがある。人間の潜在的な可能性と心の平穏を探求し、ヒューマン・ポテンシャル・ムーブメント(人間性回復運動)に力を入れて、さまざまな社会的課題について共有し、平和への道を探求しているのである。この三カ所のいずれにも、当時、日本から山田無文老大師が足を運ばれていることは、もう一点の特筆すべきことであろう。龍門寺住職・前妙心寺派管長の河野太通老大師は、無文老大師と一緒にタサハラにある温泉浴場を掘ったのをよく覚えていると、私に話してくださったことがある。

サンフランシスコ禅センターでの第一回の講義では、日本臨済宗中興の祖として知られる白隠慧鶴(えかく)禅師(1686~1769)の二つの著作『邊鄙以知吾(へびいちご)』(1754年、白隠70歳著)と『於仁安佐美(おにあざみ)』(1751年)に焦点を当てた。当時の政治社会問題に対する批判という白隠の遺産を再考しながら、一方で現代資本主義を特徴づける独善的な自国中心主義(特にアメリカでは、トランプ大統領就任以降に掲げたモットー「強いアメリカ」)、グローバリズム、地球環境問題、経済格差、民族問題、人種問題など私たちの身近にある諸問題への禅的展望を見据えた。

私の講義は2016年のアメリカ合衆国大統領選挙後、最初の週末であったために、トランプ政権誕生に不満と不安を強く抱く人たちでセンターはいっぱいだった。坐禅ワークショップ後の意見交換の場では、「トランプ大統領が進めるメキシコとの国境に設置する壁によって、友人や知人が断絶されてしまう」「マイノリティー(ラテンアメリカ系、アフリカ系、アジア系などの差別や構造により社会的に弱い立場にいる社会集団)の人間たちはどうなるのだろう」「性的マイノリティー(同性愛者、両性愛者、トランスジェンダーなど)はどうなるのだろう」「紛争が続く中で世界平和には果たして何が必要か」「シリアを攻撃する一方で、犠牲になるのは弱い立場にある人たちだ」などの意見が交わされた。

『邊鄙以知吾』は白隠が岡山藩主の池田継政に宛てた手紙であり、『於仁安佐美』は中御門天皇の皇女である宝鏡寺門跡と光照院門跡の姫宮に宛てた法話である。当時の大名や権力者たちの放逸で奢侈(しゃし)な生活は、結局のところ、非道に搾り取る年貢などによって領民に全て皺(しわ)寄せされ、その結果、頻繁に起こる一揆は「窮鼠(きゅうそ)、猫を嚙(か)む」ものであると批判する。さらに、徳川幕府の経済的根幹政策である参勤交代について、大名行列は、甚だしい自己権力の誇示とうぬぼれであり、労力とお金の無駄以外の何ものでもなく、その膨大な費用は全て百姓をはじめとする下層階級の犠牲で賄われるのである、と論ずる。

白隠は「壁訴訟」というタイトルの別の手紙の中で、これらの生活と労力を極限まで追い詰められた百姓たちによる一揆に言及しながらも、その強い怒りの矛先は、密偵を放って一揆の首謀者たちを一網打尽にしようとする役人に協力する僧侶に当てられる。僧侶は宗教者という立場を利用して、蜂起した百姓たちを安心させ、城や庄屋の取り囲みを解かせるのである。宗教者が百姓たちを裏切るのである。タイトルの「壁訴訟」は、下層階級にとっては訴えようがないので、壁に一人で「訴える」しかない、ということを意味する。現代社会にはびこる軍事防衛費、難民問題、紛争、トップ1%の年収問題(これだけでなく、経済格差問題一般)、人種による偏見、白人警官による黒人射殺(暴力)問題、保険の問題(アメリカ)などに直面するわれわれにとって、今、白隠の生きた遺産から学ぶことは多い。

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