心の悠遠――現代社会と瞑想(16)最終回 写真・文 松原正樹(臨済宗妙心寺派佛母寺住職)

「旅人よ、道はない。歩くことで道は出来る」。マチャードの詩を心の杖言葉に、日米の仏教伝道の懸け橋として、これからも人生の旅を続ける(写真=筆者提供)

歩くことで道は出来る

1999年10月、私のサンティアゴ・デ・コンポステーラ巡礼路(スペインの世界遺産、キリスト教の聖地)の旅は、マドリードの北東約400キロに位置するザビエル城から始まった。ここは日本にキリスト教を伝えたフランシスコ・ザビエルの生誕地ならびに幼少時代の住居として知られる。

この巡礼路の途中、私の記憶が正しければ、モリナセカという町に到着した晩のことである。橋のそばのレストランでコーヒーを飲んでいて、ふと見上げると、壁に詩人アントニオ・マチャード(1875-1939)の詩「道」の一節、「旅人よ、道はない。歩くことで道は出来る」という言葉が掛かっていた。私はすぐにこの言葉が好きになった。

日本に戻ってから、すぐに師父・哲明和尚にこの言葉を見つけたことを話すと、父は黙って書斎に戻り、一冊の本をパラパラとめくりながら戻ってきた。そして、「これ読んでごらん」と、高村光太郎(1883-1956)の詩「道程」のページを差し出した。「僕の前に道はない 僕の後ろに道は出来る」の冒頭のくだりに、私はつい「マチャードの詩に似てるね」と声を発したのを覚えている。それ以来、このマチャードの言葉が私の「心の杖(つえ)言葉」になっている。

2018年11月から米・ニューヨーク市のマンハッタンで始まった私の「嘉日坐禅会」も、あっという間に1年が経ち、19年最後の坐禅会を数日後に控えている。光陰矢の如(ごと)し、である。20年1月からは、ロードアイランド州プロビデンス(マンハッタンから急行電車で約3時間、ボストンまで車で約1時間)にあるブラウン大学で、毎週金曜日に「白隠」の授業を受け持つことになっている。翌土曜日の午前中には、ブラウン大学の学生ならびに一般を対象とした坐禅会も始める予定だ。これに毎月一回のコーネル大学での「仏教講座」と日本の自坊行きが加わるが、どこに行っても「平常心」である。私の場合、この「平常心」は三つの習慣から成り立っている。

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