利害を超えて現代と向き合う――宗教の役割(85) 文・小林正弥(千葉大学大学院教授)

画・国井 節

復活の季節

4月になり、暖かい日が増えてきた。欧米では、生命の復活と繁栄を祝うイースター(復活祭、今年は3月31日)があり、日本では桜が開花する季節がやってきて、学校では新学期が始まる。

自民党は派閥の裏金問題について39人の処分を決めた(4月4日)が、処分が甘く、処分の公正性にも疑問があって、国民からも党内からも批判や不満が噴出している。他方で、国際的には、イスラエルがシリアにあるイラン大使館領事部の建物を空爆したために、イランがイスラエルにドローンやミサイルで報復攻撃を行い(4月13日~14日)、第五次中東戦争や第三次世界大戦の誘発が懸念され、それを食い止めようとする懸命な努力が関係者間で行われている。

この陰鬱(いんうつ)な状況下で、私たちはどう考え、何を目指すべきだろうか。

戦後の意義の再認識

世界的な戦争の危険性が改めて現実のものとなっている今、戦後にアメリカの代表的ジャーナリストだったウォルター・リップマンが第二次世界大戦の体験を踏まえて『公共哲学』(小林正弥監訳、勁草書房、2023年)を1955年に上梓(じょうし)したように、私たちはこの危機を乗り越えるためにも新しい公共哲学を共有する必要がある(詳しくは、訳書解説「文明的・政治的危機の時代に甦る公共哲学の原点」参照)。

日本でも、戦後には、軍国主義が反省されて、新しい平和憲法が生まれ、民主主義が制度となり、運動としても勃興した。経済的に荒廃し、貧困が広く見られた中で、新宗教をはじめ宗教的・精神的運動も広がった。やがて高度成長が達成されて、経済的な豊かさが広がり、民主主義の難点も浮上して強いリーダーシップが求められ、世俗化が進むにつれて、宗教性や精神性も衰退した。

しかし、今は、政治的混乱が生じて戦火が広がっている故に、戦後の思想や運動の意義が再び注目され、そこに立ち戻って未来を考えることが改めて重要になっている。戦前においては、政党政治の腐敗や問題点が表面化してファシズム的思潮が盛んになり、軍部支配へと向かっていった。幸いにも現在は、安倍政権下の右翼的・権威主義的政治の問題点が次々と明るみに出て、自民党政治の腐敗が明確になってきている。ここで多くの人々が正しく省察をすれば、戦前とは異なって、再び民主主義の活性化へと向かう可能性が存在すると思われるのである。

【次ページ:宗教・倫理と科学的展開の相似性】