利害を超えて現代と向き合う――宗教の役割(84) 文・小林正弥(千葉大学大学院教授)

画・国井 節

悪事露呈の時代

自民党の政治資金パーティー裏金問題は国民の失望を招いている。衆議院に続いて、参議院でも政治倫理審査会が開催されたが、ほとんど新しい事実は明らかにならなかった。そこで、野党4党は証人喚問を要求し始めた。これは、当然だろう。

この結果、政権支持率は顕著に減少しており、内閣の支持率は22%、不支持率は67%となった(朝日新聞世論調査、3月16・17日)。過去のデータからすると、もはや退陣水域である。けれども、いまだに岸田政権は持続しており、以前なら大きな不祥事が起きた時に生じた党内抗争が、今回は明確には顕在化していない。自民党は自浄能力が著しく低下しているように見える。

裏金問題は、まさにこれまで裏で処理されていたお金が明るみに出たことを意味するが、隠されていた問題が公になったのは政治の世界だけではない。もっとも顕著なのは、芸能界やエンターテインメントの世界だ。SMILE―UP.(旧ジャニーズ事務所)の性加害問題、宝塚歌劇団のいじめ問題、ダウンタウンの松本人志のスクープ記事が典型例だ。問題行為が明るみに出て、それまで勢威を誇っていた事務所や芸能人が、新会社への改名や公演の中止、活動休止に追い込まれた。政治も幾つかの派閥が解体した。このように今は、各領域で勢威を誇っていた人々や組織に疑惑が次々と浮上して責任を問われており、悪事露呈の時代と言える。

社会的浄化という時代的課題

このような事態を見ると、暗い気持ちになる人も多いだろう。経済的にも、円安による物価上昇や実質賃金低下が続いているのだから、無理もない。でも、悲観するには及ばない。これまで各領域における権力によって隠蔽(いんぺい)されていた悪事が露見して初めて、その汚濁が除かれて清まることが可能になるからだ。その混乱は正視に耐えない場合があるが、水が入ったコップの底にゴミや泥が沈殿している場合、それらを浮上させて除去しなければ、水を清めることが難しいのと同じだ。逆に言えば、この機会を活かして、さまざまな領域を浄化して新しい時代をつくっていくのが、私たちの務めだろう。

徳義を政治に掲げるべし

前回の連載で述べたように、自民党が派閥解散をしても、それだけでは派閥の流動化や再編をもたらすだけで、やがて復活して元の木阿弥(もくあみ)になってしまう可能性が高い。それゆえ、大事なのは理念や徳義の復活なのである。

例を挙げると、小泉構造改革の時には、小泉純一郎元首相が「自民党をぶっ壊す」と公言して多くの国民の支持を得た。しかし、今は政治的浄化の旗手になるような与党政治家が見つからない。そこで、政治を清浄化する担い手は野党や自民党以外の政治家に期待するほかない。裏金問題を明確に批判する野党や政治家は、今こそ、徳義を大きな理念として打ち出し、政治の浄化を正面から訴えていくべきだろう。政治的浄化は、思想的には、「徳義共生主義(コミュニタリアニズム)」が政治の中心的課題として主張していることだ。私の研究しているこの政治哲学こそが、今の日本政治に必要なのであり、自らの理念としてそれを訴える政党や政治家が現れてほしいものである。

たとえば立憲民主党は、安倍政治に反対して立憲主義を掲げてきたから、思想的にはリベラルと特徴づけられることが多い。立憲主義はとても大事だが、それだけでは今の課題には応えられない。政治哲学で言うリベラリズムは、権利や自由の擁護を中心的主張とする半面で、「善い生き方」をはじめとする価値観・世界観に関する議論を棚上げするからだ。これに対して、ストレートに、道徳的な価値観・世界観に基づいて正々堂々と徳義と政治的浄化を訴えることこそが、時代の要請なのである。

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