幸せのヒントがここに――仏典の中の女性たち(12)最終回 文・画 天野和公(みんなの寺副住職)

僧院にたどり着くと、彼女たちは門の前で立ち尽くし、許しを待ちました。その姿に心打たれた弟子のアーナンダ尊者が、どうか出家を認めてほしいと重ねて進言したため、ついにはお釈迦さまも許しました。

女性が出家できる環境が整うと、尼僧第一号となったパジャーパティーは多くの後進の女性を指導しました。

亡くなる間際、パジャーパティーはお釈迦さまに感謝の言葉を述べます。「私はあなたの母ですが、あなたは私の父です。正しい法を教えてくださったあなたによって、私は生まれたのですから」。

彼女の没後、お釈迦さまもその遺徳をたたえました。「ああ、亡くなって遺骨のみが残った母に対して、憂い悲しみがないのは、まれなことです」。

悟りを開き、すでに憂い悲しみを滅したはずのお釈迦さまがこうおっしゃった理由は何でしょう。人生の目的を強い意志で達成し、安らかにその生を閉じた偉大な母は、臨終においても、周囲に安らぎと喜びをもたらした――お釈迦さまはそう示されたのではないでしょうか。

一生の間に、「教えの父母」と仰ぎ慕えるような方に巡り合えたなら、それはどれほど素晴らしいことでしょう。

本連載では、仏典に登場する多くの「母たち」を紹介しました。私たちも、彼女たちの徳に触れ、その姿に学ぶことができますように。かなうならば、誰かの心を育む母としての役割に恵まれますように。そう祈念して、筆を置きます。

参考文献:『南伝大蔵経』第二十七巻譬喩経

プロフィル

あまの・わこう 1978年、青森県生まれ。東北大学文学部(宗教学)卒業後、夫と共に仙台市に単立仏教寺院「みんなの寺」を設立した。臨床宗教師でもある。著書に『みんなの寺のつくり方』(雷鳥社)、『ブッダの娘たちへ』(春秋社)、『ミャンマーで尼になりました』(イースト・プレス)、 『その悲しみに寄り添えたなら』(イースト・プレス)など。

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