幸せのヒントがここに――仏典の中の女性たち(11) 文・画 天野和公(みんなの寺副住職)
手放して、手に入れる――キサーゴータミー
キサーゴータミーと呼ばれる若い母親がいました。キサーとは「痩せた」、ゴータミーとは「ゴータマ姓の女性」という意味ですので、正確な彼女の名前は誰も知りません。
キサーゴータミーはコーサラ国サーヴァッティの貧しい家に生まれ、ある縁で富豪の息子と結婚しました。待望の男の子にも恵まれ、まさに幸せの絶頂にありました。
ところがその子は、ようやく歩き始めた可愛(かわい)い盛りのころ、突然亡くなってしまいます。周囲の人は遺体を火葬場に連れて行こうとするのですが、キサーゴータミーは息子を自分の胸に抱き、決して離そうとしませんでした。
彼女は子供を抱いて往来に立ち、道行く人に尋ね続けました。「どなたか、この子を治せるお医者さまを知りませんか。この子が目覚める薬をくださいませんか」。亡くなった子を生き返らせることなど誰もできません。哀れに思った人が、こう助言しました。「お釈迦さまであれば治すことができるかもしれない。訪ねてごらんなさい」。
キサーゴータミーは祇園精舎(ぎおんしょうじゃ)へ駆けつけ、息子を治してくれるよう懇願しました。お釈迦さまは、なんとこの願いを聞き入れます。「薬の材料が要ります。どこかの家から芥子(けし)の種を一握りもらってきなさい。ただし、まだ死人を出したことのない家から分けてもらうように」。
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