バチカンから見た世界
バチカンから見た世界(123) 文・宮平宏(本紙バチカン支局長)
ポーランド人教皇ヨハネ・パウロ二世の盟友が逝去
小生(記者)は1998年、「バチカン東方政策」(オーストポリティク)の立役者であったアゴスティーノ・カザローリ枢機卿に同市国内でインタビューした。カザローリ枢機卿は、1979年から90年までバチカン国務長官を務め、その間、旧ソ連や東欧共産圏諸国で無神論によって迫害されるカトリック教会に、最小限の信教の自由を保障するため、各国政府との折衝を展開していった人物だ。ハンガリーをはじめとして、旧ソ連やポーランド政府との合意を成立させていった。1975年にフィンランドの首都ヘルシンキで開催された全欧安全保障協力会議(CSCE)においてまとめられた最終文書「ヘルシンキ宣言」に、欧州大陸での安全保障や経済協力だけではなく、「信教の自由と人権」を挿入させることにも成功した。
バチカンから見た世界(122) 文・宮平宏(本紙バチカン支局長)
世界を分断するウクライナ侵攻
英国のボリス・ジョンソン首相とイタリアのマリオ・ドラギ首相が相次いで辞職したのは、今年7月のことだった。両指導者は、ロシアによるウクライナ侵攻を強い口調で糾弾し、武器供給を含めたウクライナへの支援を提唱してきた。
バチカンから見た世界(121) 文・宮平宏(本紙バチカン支局長)
キリスト教徒間の戦争ではなく“姉妹なる諸教会と兄弟なる諸国民”
第二バチカン公会議(1962~65年)後、世界のキリスト教一致に向けた先駆者は、ローマ教皇パウロ六世とコンスタンティノープル(現トルコ・イスタンブール)エキュメニカル総主教のアテナゴラス一世だった。二人のキリスト教指導者、特に、アテナゴラス一世が強く主張したモットーは、「姉妹なる諸教会、兄弟なる諸国民」だった。この標語が、ロシアによるウクライナ侵攻と、ロシア正教会の最高指導者であるキリル総主教による侵攻の宗教的正当化で、預言(神の意志を人々に伝える言葉)としての意味合いを帯びてきた。
バチカンから見た世界(120) 文・宮平宏(本紙バチカン支局長)
文明の衝突をあおるロシアの政権と正教会
ウクライナの首都キーウ(キエフ)のビタリ・クリチコ市長はこのほど、「世界の霊的指導者たちが、彼らの道徳的役割を果たすための立場を明確にし、諸宗教の平和に対する責任を、誇りを持って遂行してほしい」と呼びかけた。これを受け、世界の諸宗教指導者で構成される使節団が5月23日から26日までキーウを訪問し、同国に対するロシア軍の侵攻と爆撃の早期終結と、和平を模索していくことを願い、祈りを捧げた。バチカンの公式ニュースサイト「バチカンニュース」が26日に報じた。
バチカンから見た世界(119) 文・宮平宏(本紙バチカン支局長)
世界に対峙の構造を生むウクライナ戦争
ローマ教皇フランシスコは4月2、3の両日、地中海中央部のマルタを訪れた。2日の到着後、政府関係者や同国の外交団に向かい、『マルタ島に吹く四方位からの風』と題してスピーチした。
バチカンから見た世界(118) 文・宮平宏(本紙バチカン支局長)
アフリカで胎動するWCRP/RfPのモーリシャス諸宗教評議会
モーリシャスはインド洋に浮かぶ島国だが、アフリカ諸国に分類される。宗教的にはヒンドゥー教徒が国民の半数を占め、キリスト教、イスラーム、仏教などと続く多宗教の国だ。
バチカンから見た世界(117) 文・宮平宏(本紙バチカン支局長)
後退する民主主義に教皇が警鐘
キプロス島訪問を終えたローマ教皇フランシスコは12月4日にギリシャの首都アテネに到着した。大統領府でカテリナ・サケラロプル大統領、キリアコス・ミツォタキス首相と懇談した後、政府関係者、市民社会の代表者、外交団らと面会した席上、スピーチを行った。
バチカンから見た世界(115) 文・宮平宏(本紙バチカン支局長)
民主主義と政治の根源的意味を問いかける――貧者たちの連帯と運動
「誰一人取り残さない」――国連の持続可能な開発目標(SDGs)が掲げる理念だ。果たして各国の政治はその方向に進んでいるだろうか。