バチカンから見た世界(137) 文・宮平宏(本紙バチカン支局長)

教皇のハンガリー訪問――戦争の独奏者と欧州の統一理念

ローマ教皇フランシスコは、4月28日から30日までハンガリーを訪問した。28日、首都ブダペストに到着した教皇は、すぐにノヴァク・カタリン大統領と会見。大統領府の記帳書に、「巡礼者、友人としてハンガリーに来ました。ハンガリーは、歴史と文化に富んだ国です。橋と聖人の町であるブダペストから欧州全土に思いを馳(は)せ、一致、連帯した欧州が、今でも平和と受け入れの家であるように願います」と記し、ハンガリー訪問の意義を伝えた。

教皇を迎えたノヴァク大統領は、「私たちハンガリー人は、(ロシアによる)ウクライナ侵攻の破壊的な現状にじかに触れています。ウクライナから逃れてくる150万もの人々を受け入れるため、可能な限りの努力をしている」と説明。また、女性である同大統領は「引き裂かれた家族の苦しみを見たし、わが子の死に慟哭(どうこく)する母親たちの叫びにも耳を傾けてきた」と話し、戦争による「不正義を眼前にし、私たちは、私たちの価値観に共通する未来(欧州統一)を擁護していく」との決意を表明した。

さらに、「私たち母親は、真っ先に、戦争ではなく平和を勝ち取りたいのです。私たちは、わが子や夫を戦争の前線に送り出したくないのです」と強く訴えた。しかしながら、「平和への道程と、武器を沈黙させる意思からは、いまだ程遠い」と語り、「教皇が、平和実現のために不可欠である人々と、キーウ、モスクワ、ワシントン、ブリュッセル、ブダペストで話し合うことができますように」と期待を寄せた。

この後、教皇は、政府や市民社会の代表者と同国付外交団を前にスピーチを行った。この中で、欧州統一に向けた「魂を再発見することが本質的な課題」だと強調。第二次世界大戦後、欧州は国連と共に、諸国間の緊密な絆を構築することでさらなる紛争を予防していくという大きな希望の源泉であったが、「今、私たちの生きている世界では、欧州統一政策や多角主義へ向けた情熱が、過去の追憶になってしまったようだ」と憂慮を表明した。そして、「戦争の独奏者が自身の領域を拡大する中、皆が夢見た平和の夕闇を見ているようだ」と悲嘆した。

一方で、教皇は現代史における「人類の記憶を保存する欧州」の役割を重要視する。つまり、「自分たちが生きた時代、国境、目先の利益を超え、亀裂を広げるのではなく、一致を再構築し得る外交を発動させていった、欧州統一の祖師と呼ばれた政治指導者たちの情熱と夢(欧州の魂)を再発見する」ことが大切だというのだ。この政治指導者とは、イタリア人のアルチーデ・デ・ガスペリ、フランス人のロベール・シューマン、ドイツ人のコンラッド・アデナウアーを指す。

教皇は、3人が1953年10月13日にローマで円卓会議を開き、欧州大陸の統一構想について話し合った時、シューマンがスピーチで、「組織化され、活性力を持つ欧州がもたらす文明への貢献は、平和的な関係維持のために不可欠である」と述べたことを引用。1950年5月9日に公表された「シューマン宣言」の「世界平和は、それを脅かす危険に比例して行使される“創造的なイニシアチブ”がなければ擁護できない」という一節にも言及した。

ここで、教皇は、ウクライナの人々に思いを馳せながら、「現代史の中で、『創造的なイニシアチブ』はどこに行ってしまったのか」と問いかけた。教皇の指摘する「欧州の魂」には、3人の欧州統一の祖師たちがキリスト教の一致思想から強い影響を受けていたように、何世紀にもわたる欧州文明の形成に貢献してきたキリスト教も含まれている。そのため、「欧州が、一方的な勢力の虜(とりこ)や自画自賛するポピュリズム(大衆扇動主義)の餌食となったり、市民の実生活を忘れて抽象的な超国家主義のような、流動的、刹那的な性格を持つ現実となったりしていかないように」と警告した。

さらに、「魂の入った欧州」が、「紛争、貧困、気候変動に絶望して(故国を)逃れる多くの兄弟姉妹たちの間に臨在する、(苦しむ)キリストの姿を見極め」「欧州共同体レベルで、この複合的で時代を画する(難民と移民の)問題に対処していくように」とも促した。これは、欧州が難民や移民を拒否し、追放することで自身を守るのではなく、共有されたメカニズムを創設し、彼らが安全に、合法的な方法で受け入れられるような状態を目指してほしいという教皇のアピールだ。

教皇の指摘する「安全で合法的な難民や移民の受け入れ」とは、聖エジディオ共同体(カトリックの在家運動体、本部・ローマ)が、イタリア政府、同国プロテスタント教会と協力して展開する「人道回廊」と呼ばれるイニシアチブのことだ。一定数の難民を安全なルートを通して合法的に受け入れるもので、今では欧州全土で導入され始めている。

教皇のスピーチは、ウクライナから大量の避難民を受け入れながらも、その他の地域からの(特にバルカン・ルートをたどって北上してくる)難民を鉄条網で阻止し続けるポーランドやハンガリーといったポピュリスト系政権の政策に対する批判でもあった。