バチカンから見た世界(134) 文・宮平宏(本紙バチカン支局長)

ローマ教皇フランシスコ(撮影:カーシャ・アルテミアク)

教皇選出10周年記念日

3月13日、ローマ教皇フランシスコの選出から10周年の記念日を迎えた。バチカン市国内では祝日とされていたが、教皇自身は居所で側近の枢機卿たちとミサを挙げただけだった。誕生日を含めて、私的な事柄に関する祝い事をしない教皇なのだ。

2013年2月11日の教皇ベネディクト十六世による生前退位公表後、3月12日から教皇選挙(コンクラーベ)が開始され、2日目に第266代教皇として選出された。歴代初の南米アルゼンチン出身である新教皇は、選出直後にサンピエトロ大聖堂の中央バルコニーに立ち、広場を埋め尽くした信徒たちに向かって「こんばんは!」とあいさつし、気さくな人柄をのぞかせた。

そして、法名としてカトリック教会史上初となるアッシジの聖フランシスコを選んだところに、アルゼンチン出身である新教皇のカトリック教会指導方針が凝縮されていた。聖フランシスコは「清貧」を自身の花嫁と呼び、「貧者の選択」によって神への回帰を説いたからだ。南米大陸で生まれ、体系化されていった「解放の神学」が主張する「貧者の選択」が、史上初となる南米大陸出身の新教皇の中で、カトリック教会の壁を超えて世界の人々から愛されるイタリアの聖フランシスコのメッセージとつながったのだ。

教皇は選出直後、友人であり尊敬するブラジル人枢機卿から、「恐れるな。貧者のことを忘れるな」と諭され、教皇職を受け入れる決意を固めたという。教皇の両親は北イタリアからの移民であり、その生活苦を体験していただけに、アッシジの聖フランシスコのメッセージが身に染みていたのだろう。貧しい人々、社会で虐げられ底辺であえぐ人々、過酷な経済制度に使い捨てられた人々への配慮、癒やしと救いのメッセージを優先する方針に沿い、就任から10年間、カトリック教会を指導してきた。

「貧者の選択」は往々にして、カトリック教会内で「共産主義」と批判されてきた。ブラジルでの「解放の神学」の先駆者と呼ばれ、第1回庭野平和賞受賞者であるヘルダー・カマラ大司教(同国オリンダ・レシフェ大司教区)にも共産主義者のレッテルが貼られてきた。だが、アルゼンチン人の教皇は、「貧者の選択」はイデオロギーではなく「聖書の教え」であると説き続けた。貧しく、苦しんでいる人々に対する「喜びのニュース」が福音であり、十字架という逆説によって人類が救われると説く福音書が示す「神の王国」では、「末席に座る人々が最前列に座る」という逆説をも提示したのだ。社会の末席に座る人々に癒やしと救いのメッセージを伝えるためには、カトリック教会が「外に出ていく教会」(宣教する教会)となり、特に、世界や社会の「僻地(へきち)」で生活する人々のもとに赴く教会でなければならない。

教皇の示す僻地には、「地理的」「実存的」という二つの意味がある。教皇は、カトリック教会を世界各地で苦しむ人々を癒やす「野営病院」と称し、カトリック教会の内部改革にも着手した。特権的な立場を享受して内に閉じ籠(こも)りがちなバチカン諸機関を、外に出て布教するための基盤として改革していくように試みている。「断片的な形で進行する第三次世界大戦」といった世界の状況にあって、多くの紛争が生み出す大量の避難者、難民、貧者、移民を癒やすための“野営病院”が必要とされているからだ。

教皇は、利潤のみを追求し、人間さえも「使い捨てる文化」を助長して「人間と自然を破壊する」現行の世界経済体制(新資本主義)を厳しく糾弾する。それは、イデオロギー的な理由ではなく、聖書の説く人間観と、聖フランシスコが謳(うた)った「神による創造の賛歌」に代表される宇宙観を基盤としている。