バチカンから見た世界

バチカンから見た世界(140) 文・宮平宏(本紙バチカン支局長)

ウクライナ侵攻後の世界は分断されていくのか

現代史は、人類が戦争と破壊の廃墟(はいきょ)から立ち上がろうと「世界平和」を希求するたび、必ずと言っていいほど裏切られてきた道程といえる。

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バチカンから見た世界(139) 文・宮平宏(本紙バチカン支局長)

「ナクバの日」に中東和平を願う宗教者たち

ローマ教皇フランシスコは5月14日、日曜日恒例であるバチカン広場での正午の祈りの席上、悪化する中東地域での紛争状況に対する憂慮を表明し、「ここ数日間、イスラエル人とパレスチナ人との間に新たな武力衝突が発生し、女性や子供など無実の人々が命を失っている」と述べた。

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バチカンから見た世界(138) 文・宮平宏(本紙バチカン支局長)

ウクライナ和平調停を目指すバチカン外交

ウクライナのゼレンスキー大統領は5月13日、バチカンを訪問し、40分にわたりローマ教皇フランシスコと会見した。バチカンが公表した声明文によれば、両指導者は「長引く戦争によって発生した人道、政治状況をテーマに懇談」したとのことだ。

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バチカンから見た世界(137) 文・宮平宏(本紙バチカン支局長)

教皇のハンガリー訪問――戦争の独奏者と欧州の統一理念

ローマ教皇フランシスコは、4月28日から30日までハンガリーを訪問した。28日、首都ブダペストに到着した教皇は、すぐにノヴァク・カタリン大統領と会見。大統領府の記帳書に、「巡礼者、友人としてハンガリーに来ました。ハンガリーは、歴史と文化に富んだ国です。橋と聖人の町であるブダペストから欧州全土に思いを馳(は)せ、一致、連帯した欧州が、今でも平和と受け入れの家であるように願います」と記し、ハンガリー訪問の意義を伝えた。

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バチカンから見た世界(136) 文・宮平宏(本紙バチカン支局長)

紛争が絶えないミャンマーよ、どこへ行く

1948年にビルマ連邦として英国領から独立したミャンマー。しかし、その前年には独立運動の指導者であったアウンサン将軍が暗殺され、独立直後には、少数民族のカチン族が分離独立運動を展開し、アウンサン将軍を総書記として結成された共産党が政権を離脱した。

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バチカンから見た世界(135) 文・宮平宏(本紙バチカン支局長)

植民地主義とカトリック教会――バチカンの見解

15世紀のスペインやポルトガルなどを中心とする欧州の列強諸国は、当時のローマ教皇の権威をも利用しながら、キリスト教が伝播(でんぱ)していない新大陸の「征服」を奨励し、先住民の土地や富を奪い、彼らをキリスト教に改宗させる政策を施行していった。こうした、欧州、白人人種、文化、宗教の優越性を主張する植民地主義は、16世紀以降に「新大陸発見の教説(ドクトリン)」と呼ばれ、定着した。

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バチカンから見た世界(134) 文・宮平宏(本紙バチカン支局長)

教皇選出10周年記念日

3月13日、ローマ教皇フランシスコの選出から10周年の記念日を迎えた。バチカン市国内では祝日とされていたが、教皇自身は居所で側近の枢機卿たちとミサを挙げただけだった。誕生日を含めて、私的な事柄に関する祝い事をしない教皇なのだ。

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バチカンから見た世界(133) 文・宮平宏(本紙バチカン支局長)

2月24日は「悲しい記念日」――教皇

ローマ教皇フランシスコは2月22日、バチカンで行われる水曜恒例の一般謁見(えっけん)の終わりに、「2月24日で、(ロシアによる)不可解で残忍なウクライナ侵攻の開始から1年が経過する。悲しい記念日だ!」と発言し、昨年2月24日以来、110回を超えるウクライナ和平のアピールを行ってきた自身の胸中の苦しみを明かした。

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バチカンから見た世界(132) 文・宮平宏(本紙バチカン支局長)

アフリカ大陸に手を伸ばすな――教皇がコンゴからアピール

ローマ教皇フランシスコは1月31日から2月5日まで、コンゴ民主共和国(旧ザイール)と南スーダンを訪問するため、イタリアのフィウミチーノ空港を飛び立った。

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バチカンから見た世界(131) 文・宮平宏(本紙バチカン支局長)

ミャンマーでのキリスト教攻撃の停止を――WCC

ミャンマーのキリスト教徒は総人口の約6%で、その8割がバプテスト教会を中心とするプロテスタント諸教会の信徒である。カトリック教会やシリア典礼派教会の信徒数は1%ほどで、キリスト教徒の大半がカチン、シャン、カヤ、チンなどの民族に集中している。

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