「時代」の声を伝えて――文学がとらえた80年(2) 文・黒古一夫(文芸評論家)

フクシマ後を予見する「ディストピア小説」

前回に引き続き、「現代」について言及しておきたいことがある。それは、未曽有の「好景気」が喧伝(けんでん)される現代に「暗い影」を投げかけているもう一つの要因についてである。

2011年3月11日、東日本の太平洋岸を襲った大地震と大津波によって、現代科学の「粋」を集めて建設されたはずの原子力発電所(東京電力福島第一原子力発電所)がひとたまりもなく破壊された。広い範囲にわたって放射能を撒(ま)き散らし、十数万人の避難民(被曝者を含む)を生み出すという「レベル7」の大事故はいまだ「収束」を見ていない。事故から7年が経とうとしている現在にあっても、「廃炉」作業を含めたフクシマの「収束」作業がいつ終わるのか不明のままである。この地震列島に生きる多くの国民が、再稼働した原発がまたいつか「大爆発=大事故」を起こすのではないか、という「不安」を抱いたまま現代という時代を過ごしている。ここに、この時代の「病」とも言うべき問題が存在していると言っても過言ではない。

フクシマから7年後の今日、是非もう一度思い出してほしいのは、「原発=原子力の平和利用」に関して、繰り返し「安全宣言」が発せられながら、その原発が大自然の猛威の前にもろくも崩れ去ったという事実である。そして、フクシマは原発がいかに危険極まりない非人間的なエネルギー源であるかを改めて白日の下に曝(さら)け出すことになったが、それはまたヒロシマの被爆者であった広島大学の教授であった森滝市郎が、1986年の原水禁世界大会で述べた、「核と人類は共存できない」との言葉を私たちに再認識させるものだったということである。

さらに言えば、死者約30万人を上回る被爆者を生み出した1945年8月6日と9日のヒロシマ・ナガサキから始まった核時代は、未来永劫(えいごう)に続くであろうと思われてきた人類の歩みを「止める」出来事であったということであり、フクシマは改めてその事実を認識させる世界史的、人類史的出来事だったということである。

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