「時代」の声を伝えて――文学がとらえた80年(1) 文・黒古一夫(文芸評論家)

画・吉永 昌生

「希望」なき時代に、ディストピア(反ユートピア)小説の流行

そこでまずは、「現代」という時代と、そこで生まれる「文学」について、「批判精神」のあり方に着目しながら、具体的にはどのような様相を呈しているのか考えてみたい。

さて、「現代」という時代についてである。日々私たちに「新たな情報」をもたらしてくれる新聞や雑誌・テレビなどのマスコミ・ジャーナリズムが伝えることを信じるならば、明治維新から「150年」を経た現在、2万3000円を超える「株高」が象徴するように、「未曽有の好景気」のただ中にあり、誰もがその経済成長の「恩恵」を受け、この世の春を謳歌(おうか)しているということになっている。

確かに、テレビに映し出される観光地やリゾート地の光景には、高級車に乗った家族連れや高級ホテルに滞在するシニア世代の夫婦などが、「この時」を楽しんでいる姿を見ることができる。「豊かさ」を象徴するような都心の億ションや高価な宝石類も、よく売れているという。大金を費やす海外旅行も盛んである。一国の首相が経済界に対して「3%」の賃上げを要請し、経済界もそれに応え用意があると約束して「豊かさ」「好景気」を演出している。

しかし、連合(日本労働組合総連合会)の2016年の調査結果によると、非正規労働者が全労働者の40%を超え、そのうちの70%が年収200万円以下のワーキングプア(低所得者層)だという。生活保護世帯は163万7000余りに増加している一方、給付額は毎年減額されている現実などを知ると、表層の「豊かさ」の裏側で貧富の「格差」が確実に拡大していることも、実感せざるを得ない。

また、近年の国政選挙の投票率はどの選挙も50%を少し超える程度で、地方選挙になると軒並み50%以下という「政治(参加)」の現実もある。確実にこの国の「民主主義」意識は低下している、と言わざるを得ない。「政治」に期待しない国の未来がどうなっていくのか――「不安」だけが増殖し、その行く末については誰もが明確な回答を示し得ない状況にある。

加えて、アメリカのトランプ大統領誕生と軌を一にしたように、核実験・弾道ミサイル発射実験を繰り返す北朝鮮によって、朝鮮半島情勢(米朝戦争の可能性)は緊迫度を格段に増している――もし米朝戦争が起これば、アメリカの同盟国であり、国内各地に多くの米軍基地を抱える日本も必ずその戦争に巻き込まれ、多大な被害を受けることは、日米の軍事専門家の言を俟(ま)つまでもなく、火を見るよりも明らかである。

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