「時代」の声を伝えて――文学がとらえた80年(1) 文・黒古一夫(文芸評論家)

画・吉永 昌生

現代人に自らの生き方を問いかける小説

さらに危惧されることは、スマートフォン(スマホ)の普及に象徴されるIT(情報科学技術)やAI(人工知能)の進展によって、近代社会が長きにわたって構築してきた家族制度や道徳・倫理意識(モラル)が大きな「変化」を余儀なくされるのではないか、ということである。電車の中で、老いも若きも男女の別なく一心不乱にスマホを操作している光景や、仲間や家族との食事中も子供や若者が片時もスマホを手放さずに操作している様は、本来は人間の生活を「豊か」にするはずのITやAIが、人々の暮らしや精神を蝕(むしば)んでいるのではないか、と思わせるほどに「異様」である。

何かが確実に「変わりつつ」あるのかもしれない。そんな「変化」をいち早く「危機」と捉えた小説が、昨年8月に刊行された中村文則の『R帝国』(中央公論新社)である。「朝、目が覚めると戦争が始まっていた」との文章で始まるこの長編は、現在よりもさらにITやAIが進み、市民の「自由」が著しく制限された社会が舞台だ。政権のあり方や社会の仕組みなどについて議論することも禁止された「独裁」的な国家の下にあって、どうしたらそのような国家に一人の人間として「抵抗」することができるのかを問う、まさに昨今の社会的、政治的動向を作品内に取り入れた問題作である。

言い方を換えれば、この『R帝国』という小説の根底には、「豊かさ」を装う独裁的な国家(政治)の意向に従って「従順」に生きるのが幸せか、それとも個の「自由」や「抵抗権」が最大限に生かされる社会の実現を望むことにこそ幸せがあるのか、という一人ひとりに突きつけられた根源的な問いが潜んでいるということである。さらに言えば、この長編にはITやAIの行き着く先が決して「バラ色」の社会ではなく、人間関係がバラバラに分断された非人間的な味気ない荒涼とした社会になる可能性があるのではないか、との「疑念」も提起されている。

そのことを理解すれば、『R帝国』の中村文則は、まさに自らを「炭鉱のカナリア」に擬して、現代社会に警告を発していると言っても過言ではない。

プロフィル

くろこ・かずお 1945年、群馬県生まれ。法政大学大学院文学研究科博士課程修了後、筑波大学大学院教授を務める。現在、筑波大学名誉教授で、文芸作品の解説、論考、エッセー、書評の執筆を続ける。著書に『北村透谷論――天空への渇望』(冬樹社)、『原爆とことば――原民喜から林京子まで』(三一書房)、『作家はこのようにして生まれ、大きくなった――大江健三郎伝説』(河出書房新社)、『魂の救済を求めて――文学と宗教との共振』(佼成出版社)など多数。