バチカンから見た世界(152) 文・宮平宏(本紙バチカン支局長)

軍事独裁政権は、カトリック信徒たちへ「国を愛するように」と奨励し、ブラジルやチリの教会と違い軍部との直接対立を避けようと試みていた聖職者たちをも弾圧の対象として、エンリケ・アンヘレッリ司教(2019年に列福)、カルロス・ポンセ・デ・レオン司教と17人の神父を殺害した。

教皇は自叙伝の中で、「アンヘレッリ司教の教え子だった3人の神学生をかくまった」と当時を披歴。「彼らは、同じ危険にさらされている他の青年たちの情報を提供してくれた。2年間で20人ほどの若者を受け入れた」「秘密警察が私に対して目を光らせていると知っていたので、電話や手紙には注意を怠らなかった」と記している。

身の危険を避けるため国外逃亡する青年と出会った時には、「彼は私に似ていたので、神父の服を着せ、私の身分証明書を持たせた」という。「偽装が見つかれば、彼は殺され、私も追及されたことだろう」と振り返る。

軍部に拘禁されていたイエズス会士2人を解放するため、軍事独裁政権の最高指導者であったビデラ大統領と交渉し、亡命させたこともあった。学生時代に強い影響を受けた、エステルという共産主義者の女性教師の救出にも動いたが、成功せず、彼女は逮捕、拷問の末、「死の飛行」で投げ落とされた。

教皇は、当時のアルゼンチン軍事独裁政権が実行した「汚い戦争」を、「一世代の大量虐殺」と定義し、「軍事独裁政権に対する私の抵抗は不十分だった、との非難が最近まで続いていた」と残念がった。