バチカンから見た世界(154) 文・宮平宏(本紙バチカン支局長)

教皇が自叙伝を刊行(4)―「貧者を忘れるな」と諭されアッシジの聖フランシスコを名乗る―

教皇ベネディクト十六世の生前退位という、カトリック教会史上でもまれな出来事を受けて執り行われた2013年の教皇選挙。ブエノスアイレス大司教のベルゴリオ枢機卿(ローマ教皇フランシスコの俗称はホルヘ・マリオ・ベルゴリオ)が、自身に多数の票が集まり、新教皇に選出されつつあることを感知したのは、何人かの有権者枢機卿から投げかけられた冗談や質問によってであったと、3月19日に刊行した自身の自叙伝で明かしている。

ある枢機卿からは、「新任挨拶の準備はできているか」と冗談交じりに聞かれた。別の枢機卿からは、「こんな質問をして申し訳ないが、あなたには肺が一つしかないのか」と問いただされたという。「20歳の時に右肺の一部を切除しただけです」と応えると、その枢機卿は真顔になって「こりゃー、土壇場の駆け引きだ」と言い残して去っていった。「もしかすると、私に役が回って来るかもしれない」と感じた瞬間だった。

教皇は自叙伝で「最初の投票から多くの得票数を得ていた」と回顧する。「1回目の投票で必要な得票数に近づいていた」というが、この時、友人であるブラジル人のクラウディオ・フメス枢機卿が近寄ってきて、「恐れるな。これが、聖霊の業(わざ)なのだ」とささやいた。そして、第3回投票で選出に必要な3分の2の得票数に達した時、「皆が長い拍手で迎えてくれた」という。そして、開票が続く中で、フメス枢機卿が再び近づき、頰に口づけし、「貧者のことを忘れるな」と伝えた。「この時、私は、アッシジの聖フランシスコを名乗ろうと決意した」と教皇は自叙伝の中で明かしている。カトリック教会史上初めて、「清貧」を自身の花嫁と呼び、神による創造の美(自然賛歌)を謳(うた)いつつ、落陽にあった中世カトリック教会を再建していったイタリアの聖人の名が、教皇名として選ばれたのだ。