バチカンから見た世界(151) 文・宮平宏(本紙バチカン支局長)

教皇が自叙伝を刊行(1)―日本に思いを寄せた青年時代―

3月13日は、ローマ教皇フランシスコが2013年に第266代教皇として選出されてから11周年の記念日だった。その1週間後には、教皇がイタリア民放テレビ局記者の協力を得て執筆した自叙伝『人生、世界史の中での私の履歴』(ハーパーコリンズ)が刊行された。この中で、教皇は現代史に沿って87歳の生涯を振り返っている。イタリアの日刊紙「コリエレ・デラ・セラ」が14日、2ページにわたり同書の概要を報じた。

教皇フランシスコは、カトリック教会史上初となる南米出身の教皇だ。北イタリアからの移民家庭の子どもとしてアルゼンチンで生まれた。1927年、祖父母のジョバンニとローザが、教皇の父・マリオを連れて北イタリアからアルゼンチンへの渡航を決意。しかし、祖父は渡航費を工面できず延期を余儀なくされた。

一方、乗船予定だった船は、北イタリアのジェノヴァから出港後、ブラジル沖合で難波、沈没し、300人の移民が死亡した。家族で乗船していたら、カトリック教会の現代史が変わっていたことだろう。一家がアルゼンチンに出発できたのは、29年2月だった。2週間後に到着した一家を待ち受けたのは、「現代の(難民、移民の強制)収容センターのような、移民ホテルへの収容」だったという。

ホルヘ・マリオ・ベルゴリオ(教皇の俗姓)は、36年12月17日に誕生した。同書には、幼少期について「両親に連れられて、あらゆる戦後のイタリア映画を見に行った」「イタリアのカンツォーネを愛して育った」と記されている。そして45年、アルゼンチンの首都・ブエノスアイレスの飲食店に群がる人々や、サレジオ会(イタリアで創設された修道会)の教会施設に通う人々が、「グリンゴス(米国人)が(ヒロシマとナガサキに)、あの殺戮(さつりく)爆弾を投下したそうだ」と話しているのを聞き、衝撃を受ける。当時、自身が感じた憤りを、教皇は自叙伝の冒頭で、原爆を投下した米国への複雑な感情と共に記している。

「戦争での核エネルギー使用は、人類、人間の尊厳性、私たちの『共通の家』(地球)の未来の可能性に対する犯罪である。非倫理(人の道にあらず)なのだ。(原爆という)新たな戦争兵器を開発する国を、どうして、平和と正義の騎士として掲げることができるのか」

2019年の訪日では、広島と長崎から「核兵器は非倫理」と糾弾し、ウクライナと中東での紛争を「無実な一般市民の虐殺」だと定義しながら、間断なく和平アピールを続ける教皇の、反核、反戦に関する言動の原点が、ブエノスアイレスで耳にした原爆投下のニュースに震駭(しんがい)した体験にあるようだ。

ローマ教皇フランシスコ(撮影:カーシャ・アルテミアク)

イエズス会の若き聖職者となったベルゴリオ神父は、布教のため日本に行きたいという願望を抱くようになる。イエズス会は、日本にフランシスコ・ザビエルを派遣して布教を開始して以来、欧米文明に属さない独自文化を持つ日本に、常に最優秀の宣教師を派遣してきた伝統を有する。「イエズス会で青年聖職者となった私は、日本での布教を望んだが、当時、私の健康があまり優れず(肺疾患)許可が下りなかった」と回顧している。自叙伝では、「もし、日本での布教(という夢)が実現していたら、私の人生も変わっていたことだろう」と残念がる一方、「バチカン内には、私が日本に行った方が良かったと思っている人がいるかもしれない」と皮肉ることも忘れていない。

日本に思いを寄せた青年時代から話は前後するが、自叙伝の中には、学生時代に大きな影響を受けたエステルという女性教師が登場する。「驚くべき女性で、彼女から本当に多くのことを学んだ」と記し、「真の共産主義者、無神論者だったが、(他者に対する)尊敬を忘れない女性」「自身の理念を持ちながらも、信仰を攻撃することはなかった」と追憶している。

そして、彼女から「政治に関する多くのことを学び」「共産党に関する文献をも含めて、多くの書籍を読ませてもらった」という。教皇に選出後、「新教皇は頻繁に貧者について話すので、共産主義者、マルクス主義者だ」と誰かが言うのを聞いたこともあるという。しかし、「貧者について話すからといって、それが共産主義者と結びつくことはない」と主張。「貧者は福音(聖書)の旗印であり、キリストの心の中に宿る」と強調する。

さらに、初期のキリスト教共同体は財産を共有していたが、「これは共産主義ではなく、純粋なキリスト教の在り方」と説明。学生時代に無神論者の女性教師から受けた政治教育が、アルゼンチンで1940年代に台頭してきた、下層階級の労働者を政治基盤とし、労働の価値を評価した「ペロン主義」、60年代後半から南米大陸を風靡(ふうび)した「解放の神学」の提唱した「貧者の選択」と相まって、教皇フランシスコによるカトリック教会統治政策の根幹を形成するようになっていったのだ。