バチカンから見た世界(152) 文・宮平宏(本紙バチカン支局長)

教皇が自叙伝を刊行(2)―軍事独裁政権下の暗黒時代を生き抜いた教皇―

3月19日に刊行された自叙伝の中でローマ教皇フランシスコは、「若い頃、映画界で働く非常に優しい女性と婚約していたが、彼女は後に他の男性と結婚し、子どもを産んだ」と明かした。そればかりか、「神学生の時代に、叔父の結婚式で若い女性と出会い、彼女に目がくらみ、心が乱れた」「頭の中が混乱するほどの美貌の持ち主で、知的な女性でもあった」とも記している。「一週間ほど彼女の姿が念頭から消えず、祈ることさえ難しかったが、幸いにして克服できた」とも回顧する。

この恋心の体験を、教皇は「小さな躓(つまず)きで、人間的な感情であり、それを持たない者は人間ではない」と一蹴している。そして、話を一転させ、「(人工妊娠)中絶は金銭目的の殺人」と激しく糾弾。「私たちは、受精の瞬間から死に至るまでの生命を常に擁護しなければならず、中絶は殺人、犯罪行為である」と繰り返し訴えた。さらに、「中絶に加担する者は、賞金目的の殺人者、刺客だ」と激しい表現で非難し、中絶に対して「良心の拒否権」を行使するよう促した。

また、幅広く実行されている代理出産を「子宮の賃貸し」と称して「非人間的」と定義。「男女の尊厳性を脅威に陥れ、子どもを商品として扱う行為」と非難した。

ベルゴリオ神父(教皇の俗称はホルヘ・マリオ・ベルゴリオ)がイエズス会の聖職者として活動していたアルゼンチンでは、1974年にペロン大統領が亡くなり、妻・イザベルが政権を継承した。だが、国内で最も貧しい山岳地帯を拠点とする共産主義ゲリラ勢力「人民革命軍」(ERP)が台頭。国軍がその制圧を試みる非常に不安定な状況へと突入していった。ERPに呼応し、左翼系ペロン主義者たちの「モンテネーロス」と呼ばれるゲリラ地下組織が都市部でもテロ攻撃を展開し始めた。

そうした騒乱とも言える国内状況だった76年、陸軍のホルヘ・ラファエル・ビデラ、海軍のエミリオ・エドゥアルド・マッセラ、空軍のオルランド・ラモン・アゴスティの3人の高官がクーデターを起こし、権力を掌握した。軍部によるクーデターで成立した軍事独裁政権は、自らを「国家再編成プロセス」と呼び、自由派のペロン主義者や左翼系の反体制主義者たちを、違法に逮捕、拉致、拷問、殺害などして弾圧。政治犯を飛行機から海や川へ突き落とす「死の飛行」という残虐な刑の執行をも行った。

76年から83年まで続いた軍事独裁政権による統治は「汚い戦争」と呼ばれ、左翼ゲリラ勢力の鎮圧を名目に、反体制派の政治家、労働組合員、学生、報道関係者たちの自由を剝奪し、裁判もせず極秘に拘束して市民約3万人の命を奪い、行方不明者とさせた。