バチカンから見た世界(155) 文・宮平宏(本紙バチカン支局長)

教皇が自叙伝を刊行(5)―教皇就任の初期に辞表を書き国務省に提出―

ローマ教皇フランシスコは自叙伝の中で、繰り返し世界平和、労働の価値を擁護し、一方で、武器商人や経済の行き過ぎ(利益優先)を非難している。環境保全に関しては、「時間切れが迫っている。地球を救うための残り時間は少ない」と警鐘を鳴らし、若者たちには、「暴力に訴えず、芸術作品の汚染を避けながらも、騒ぐ(抗議する)ように」と呼びかけている。アッシジの聖フランシスコに倣い、神の創造の業(わざ)としての自然を賛美し、その保全を訴える教皇だが、頻発する有名な芸術作品や歴史的な噴水を汚しての抗議運動は戒めた。

教皇は就任以来、「外に出て福音を説くカトリック教会」をモットーとし、教会を「野営病院」と称して、その抜本的な改革に挑戦してきた。だからこそ、「過ちを犯したと思っている人々、過去、私たち(カトリック教会)によって責められてきた人々をも含め、全ての人々を抱擁し、受け入れる、母なる教会」と、その在り方を説く。

さらに、「神を追求しながらも、教会から拒否、除外されてきた同性愛者や性転換者」に言及し、「規定外(イレギュラー/同性愛者)のカップル」について、「神は全ての人、特に、罪人を愛される」と指摘。「同性愛者に対する祝福」に関して、自身が下した判断を正当化した。

一方、「この判断に従わない司教が出たとしても、それは教会分裂の前兆ではない」とも主張した。なぜなら、同性愛者のカップルを祝福することが、カトリック教会の教義に触れることはないからだ。カトリック教会は、同性愛者同士の結婚を秘跡として認めないが、市民結婚としては認めている。「愛の贈り物である結婚を生きる同性愛者に、全ての人々と同じように、法的擁護を提供することは正しい」のだという。そして、「洗礼を受けた同性愛者は、全ての面で、神の民(教会)の一員」であり、「洗礼を受けていなくとも、受けたいと願っている同性愛者、また同性愛者が代父母(洗礼や堅信などの秘跡を受ける時の保証人)になることを受け入れ、認めてくださるようお願いいたします」と嘆願した。

「世界の果て」(アルゼンチン)から来た教皇フランシスコは、カトリック教会の抜本的な改革に取り組んでいるが、長期間にわたり教理省を率いてきた前教皇ベネディクト十六世のように、その中枢機関である「ローマン・クリア」(教皇庁諸機関)で働いた体験を持たない。それだけに、諸機関内で、現教皇の改革路線に反対する聖職者勢力の抵抗も強いようだ。

自叙伝の中で、「バチカンは、欧州で最後の絶対君主王国であり、あたかも宮廷であるかのような論理や操作が横行している。こうした考え方は、決定的に放棄されなければならない」と主張。2013年の教皇選挙を振り返り、「カトリック教会の大きな改革と、従来の態度の変革に向けた意欲が強かったが、残念ながら、旧体制が今でも続いている」との懸念を明かしている。「改革を阻止し、教皇君主時代にとどまろうとする者がいる」とも記している。