バチカンから見た世界(157) 文・宮平宏(本紙バチカン支局長)

3宗教間の融和なくして中東和平は実現できない(9)―ガザ紛争に揺れ動くバチカン、イスラエルとユダヤ教徒の関係―

中世期まで、ユダヤ教徒たちは神であるキリストを殺害した責任を問われ、キリスト教社会から隔離、迫害されてきた。その影響で、カトリック教会では1959年まで、復活祭前のキリストの受難を追憶する聖金曜日の式典で、「神が(神殺しの)悪質なユダヤ教徒たちの心からベールを拭い去り、彼らがキリストを神と認めるように」と、祈りが捧げられていた。

この祈りは同年、ローマ教皇ヨハネ二十三世によって廃止された。第二バチカン公会議(1962~65年)で両宗教間にある共通の遺産が認められ、その関係が是正された。そして、教皇ヨハネ・パウロ二世は86年、ローマ市内のユダヤ教礼拝所(シナゴーグ)を訪問し、ユダヤ教徒たちを“お兄さん”と呼び、彼らとの和解に努めた。

それにもかかわらず、第二次世界大戦後のバチカンとユダヤ教徒との関係には、「当時の教皇ピオ十二世が、ユダヤ人大虐殺を知りながらも、それを非難せず、介入もしなかった」という論争が付きまとった。これに対し、バチカンは2020年、1939年から58年までの機密文書を公開。さらに、48年のイスラエル建国によって勃発した中東戦争に関し、その最大の難関といわれる「聖都エルサレム」について、バチカンは「中東3大宗教(ユダヤ教、キリスト教、イスラーム)に共通する聖都として国際法の管理下に置く」という立場を固持している。一方、イスラエル議会は、「永遠に分割できないイスラエル国家の首都」とする決議案を採択した。

また、バチカンが2015年にパレスチナを独立国家と承認したのに対し、国際法に沿ったパレスチナ独立国家樹立の折衝は進まず、イスラエルのネタニヤフ政権は「2国家共存」さえも認めていない。

こうした歴史を背景に、昨年10月にはガザ紛争が勃発。バチカン、イスラエルとユダヤ教徒との関係が再び揺らぎ始めた。教皇フランシスコは昨年11月22日、バチカンでの水曜日恒例の一般謁見(えっけん)前に、イスラーム過激派組織ハマスにより拉致された人質(イスラエル人)家族の代表者グループと、ガザ地区でのイスラエル軍の攻撃に苦しむ(テロ容疑でイスラエルに拘束された人も含む)パレスチナ人の家族グループと、別々に面会した。